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『家族と一緒に成長する絵本』 _読書エッセイ

佳作

『家族と一緒に成長する絵本』

岸本佳子

 私の父は、旧国鉄マンで、駅員時代は改札口で切符を切ったり、線路のポイントの切り換えをしたりして、駅の業務全般をこなしていたらしい。幼い頃、母と弁当を届けに行くと、忙しく動き回る父の姿を見つけ、子ども心に誇らしく感じていた。

 しばらくすると、新幹線の車掌になり、面白い話や珍しいお土産に、父が帰ってくるのをわくわくして待っていた。

 父自身もかなりの鉄道オタクで、退職後は孫達と一緒に電車に乗りに行ったり、大きなSLの模型を買ってきて汽笛を鳴らしたりして、孫達を喜ばせたいのか自分が遊んでもらっているのか、とにかく楽しそうだった。

 昭和一桁生まれの父は、私達三人の子供にとっては話かけにくくて煙たい存在だったが、孫達は皆、優しくて面白いおじいちゃんの事が大好きだった。

 ある日、父が『きかんしゃやえもん』の絵本を買ってきた。表紙は、若草色をバックににっこりと笑う「やえもん」が描かれている。孫達は大喜びで、
「じいちゃん、やえもん、読んで。」
と、おじいさんの右と左に陣取った。

 ゆっくりと、低くて太い声で読み聞かせが始まった。その姿は、私にとって、新鮮な感動だった。なぜなら、本好きの母は、毎晩布団に入ると、私達三人に本の読み聞かせをしてくれて、その穏やかな母の声を聞きながらいつの間にか眠りに落ちるのが日常であったからだ。仕事が忙しい父から本をよんでもらった記憶のない私は、自分自身も子ども時代にタイムスリップして「やえもん」に聞き入った。

 「・・・・・しゃあ。」

 父が、やえもんの口癖を独特の言い回しで読んだとたん、孫達がドッと笑って、真似し始めたら、あっという間に皆が「やえもん号」に変身してしまい「・・しゃあ。」「・・しゃあ。」と言いながら、動き回り出したのだ。

 絵本の続きは、また今度と、父も一緒に遊び始めたので、なんと大らかな読み聞かせだろうと、私も苦笑するしかなかった。

 それからも、遊びに行く度に、孫達は
「きかんしゃやえもん、読んで。」
とせがみ、おじいさんは、
「ほい、きた。」
と、読み始めるのだが、いつも途中で脱線するのだ。

 ある時は、さし絵を見て車輪の連結が気になって仕方がない孫達に、SLの模型を動かしながら「こうやって進むんだよ」と、納得するまで話し続けていた。

 またある時は、

 「じいちゃん、しゃしょうさん、やって。」
と言われて、わざわざ帽子を被って腕章までつけて、名調子で駅名を唱んじてみせていた。

 他にも、石炭の入れ方やポイントの切り換え方など、『きかんしゃやえもん』のさし絵の隅から隅まで、孫達の不思議?に全て嬉しそうに答えていた。孫達も、いつの間にか『きかんしゃやえもん』一冊、丸ごと暗誦してしまっていたが、それでも遊びに行くと必ず、この絵本を本棚から取り出しては読んでもらっていた。

 ところが、思いもよらない事故で、突然に父がこの世からいなくなってしまった。

 悲しみに暮れる日々が続く中、私は『きかんしゃやえもん』の絵本を譲り受け、子供達と出かける時には必ずバッグに入れて持ち歩いた。そして、電車の中で、子供達が外の景色を見るのに飽きてくると、バッグから絵本を取り出し、小さな小さな声で読み聞かせを始めるのだった。ゆったりと語りかけていた父の温かな声を思い出しながら、私も「・・しゃあ」と、やえもんの口調の真似をした。寂しさや懐かしさや、様々な感情が入り乱れる私の気持ちなど知る由もない子供達は、おじいさんから教えてもらったことをヒソヒソ声で話しながら、にんまりと笑って、次のペ―ジが開くのを心待ちにしていた。

 あれから二十年以上が過ぎ、子供達は各々の道を歩み始めたけれど、「きかんしゃやえもん」の絵本は、ずっと本棚の一番下の段の左側で、出番を待ち続けている。

 一冊の本がもたらす幸せ。
父が買った『やえもん』は、開いて読む度に笑顔や思い出が増えていき、本も私達家族と一緒に成長することを実感する。

 あの日、父の手にあった『きかんしゃやえもん』が、娘の私から、孫の息子へと、三代に渡り愛され続けてきた。

 やがて、この絵本が四代目の小さな手でめくられる日に、私も父のように「・・しゃあ」と、やえもんの口調で語りかけようと思う。

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