佳作
『十回分の本読み券』
渡辺惠子
あれは今から三十三年前。私が三十二歳の時だった。その頃の私は、めまいと吐き気と頭痛に悩まされていた。
症状は日ごとにひどくなり、意を決して、総合病院で精密検査を受けてみると脳の中枢に腫瘍があることが判明し、急遽入院と手術の日取りが決まった。
当時六歳だった息子は、母親のただならぬ気配を感じ取ったのか、幼稚園から帰宅してからもずっと私の傍を離れようとしなかった。
私は息子が生まれてから毎日、就寝時には絵本の読み聞かせをしていた。まだ絵も字もわからない赤ちゃんの時から、私が本を読み始めると途端に機嫌がよくなり、すやすやと眠りについていた。
入院する前日の夜、布団の中で絵本を一冊読み終えてから息子に言った。
「ママはねぇ、病気を治すために、明日からしばらく病院でお泊りするの。その間おばあちゃんが来てくれるからママが元気になって帰ってくるまで、いい子で待っててね」
すると息子の目からみるみる涙が溢れ出し、私にすがりついて嗚咽し始めた。私は息子を抱きしめながら、ふと、半世紀前の出来事が頭に浮かんできた。
私が中学三年生の時、母が四十歳で乳癌を発症した。今でこそ癌は治る病気だと世間に周知されているが、当時は、「告知」などという、物々しい言葉がセットになっていて、深刻で怖い病気だと捉えられていた。
手術の前日に面会に行くと、母は神妙な顔で私に言った。
「あなたのこれからの人生で、悩みや苦しいことがあった時は本を読むのよ。親や大人の意見が正しいとは限らないから、答えは自分で考えるのよ。沢山本を読んでいたら、必ず答えが見つかるからね」と。
幸いにも母は再発もなく、経過は順調で、八十五歳の時に別の病気で他界した。
今、思えば母はあの時、死を覚悟していた。近い将来、自分がいなくなっても、娘が一人でも人生を生き抜いていけるように、最後のメッセージを送ったのだと思う。
そのお蔭で、私は読書好きになれた。私は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』から、悪いことをしてはいけないということを学び、太宰治の『走れメロス』から、人を信じることの大切さや友情の尊さを知った。親のお説教には反発しても、自ら手に取った本から得た感動は、心の奥底に根付いて一生の財産となっている。
高校時代にイジメられて、一時期、自分の周りに友だちが一人もいなくなった時があったが、本が心の隙間を埋めてくれた。
私の胸で泣きじゃくる息子の温もりを感じながら、私も母と同じ思いを抱いていた。
……この子が自分で読書ができるようになるまで、神様、もう少し命をください……。
祈った甲斐があってか、私の手術は無事成功し、二週間ほどで一般病棟に移ることができた。日を追うごとに元気を取り戻しているのを、自分でも実感できるようになってきた。
そんなある日。母に連れられて、両手に大きな紙袋を抱えた息子が病室にやってきた。息子はいかにも重たそうな荷物を私のベッドに置き、ズボンのポケットから束になった紙を取り出し、恥ずかしそうに私に差し出した。
一番上の表紙には、たどたどしい文字で、「おみまい ほんよみけん10かいぶん。1かい10えん→いまだけ とくべつ むりょう」と、書かれていた。
その紙をめくると、絵本のタイトルが書かれた紙が十枚、ホチキスで止めていた。
思わず吹き出してしまった私に、息子は、
「ばーばがねぇ、ボクがママに本を読んであげたら、ママは嬉しくて早く元気になるって言ったから、ボク、ひらがな全部覚えたんだんだよ」って、得意げに言った。母は、孫のはしゃぐ姿を眺めながら涙ぐんでいた。
早速私は、『うさぎとかめ』をリクエストした。息子は、ところどころ詰まりながらも最後まで読み終えた。時々まったく違う文章が入って、脱線してしまったところもあったけれど、私と離れていた、この一ヶ月間での息子の成長に目を見張った。
「はい。おしまい」って、息子は本を閉じてから私に言った。
「かめさんは一生懸命頑張ったから、うさぎさんに勝てたんだよ。だからママ、諦めちゃダメだよ~」って、アドリブを付け加えた。
私は息子に読み聞かせをした後、その本の感想や教訓を話していたのだが、息子はその習慣もいつの間にか覚えてしまっていたのだ。
あれから三十三年の歳月が流れ、息子はいつの間にかパパになり、息子の子どもが当時の息子と同じ歳になった。息子の家には、いつも図書館で借りてきた絵本が山積みされている。テーブルの上には何枚もの本読み回数券が置いてあり、パパがオナラをしたら一枚、いびきをかいたら一枚。これは孫が息子に科した罰金券なのだそうだ。