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『小さな朗読会』 _読書エッセイ

佳作

『小さな朗読会』

宮﨑みちる

 中学三年生の時、私は背骨の曲がる側弯症という病気になった。命に別条はないものの、がっちりと型を取ったコルセットを、一日中胸から腰にかけてはめる生活はどうにも動きにくく、身体の窮屈さと共に、何だか頭の中も締め付けられて、暗く沈みがちな日々となった。三歳から続けていたバレエも目指すものを失って辞めてしまい、全てのことから疎外されたような気分だった。

 体育の時間、コルセットを外して置いておくために保健室を利用させてもらうことになった。

 保健室では、優しい中年の保健の先生が笑顔で迎えてくれた。と、もう一人、Yさんという女子生徒がいつもいた。色の白い華奢な体つきで、大きな丸い目のかわいい子だ。子供っぽく見えたが、私の一学年下だった。彼女は何をしているわけでもなく、ベッドに寝ていたり、先生と話をしていたりしていた。

 Yさんと私は、いつも顔を合わせているうちに少しずつ話をするようになった。Yさんは、特にいじめられているわけでもないけれど、何故か教室の前まで行くと足が止まってしまって入れずに、保健室に通っていた。

 ある日のこと、保健室の机の上に『そらいろのたね』という絵本が乗っていた。おそらく絵本製作部の誰かが、置き忘れていったのだろう。とても懐かしかった。幼いころ、何回も何回も母に読んでもらった覚えがある。表紙を見ただけで、温もりや安心感がよみがえってきた。私が嬉しそうに懐かしがっている姿を、Yさんは怪訝な顔をして見ていた。彼女は、この本を知らなかった。共働きでいつも忙しそうにしていたご両親に、童話を読んでもらった覚えがないと言う。

 絵本は、誰かと一緒に声を出して読むのが楽しい。私は、その場ですぐにでも読みたい気持ちを我慢して、昼休みにYさんと一緒に読むことを約束した。

 一頁ずつ交代で声に出して読み上げる。Yさんは小学校の時、演劇部に入っていたと言うだけあって、読みがとてもうまかった。私も負けじと、登場人物ごとに声色を変えて読んだりして、二人でクスクスと笑った。

 こうして小さな朗読会が始まった。すっかり忘れていたけれど、幸い、家には好きな絵本がとってあった。押し入れの奥から引っ張り出して、一冊ずつ保健室に持ち込んでは、繰り返し読んだ。

 『ぐるんぱのようちえん』『おにたのぼうし』『やまのこのはこぞう』『ちいさいおうち』『星の王子さま』・・・あるときは、クリーム色のカーテンを閉め切ったベッドの中でひそひそと。またあるときは、先生を交えて三人で。

 私の縮こまった頭の中は、いつの間にか、ほぐれていた。幼いころのように童話の世界に浸れば浸るほど、ぬくもりに包まれる。自分の居場所が見つかったように思えた。Yさんも大きな目がいきいきとして、よく笑うようになった。

 そんな風にして二か月ほどたった時だった。体育の時間前に保健室に行くと、珍しくYさんが不在だった。

 保健の先生が嬉しそうに「今日は、国語の授業を受けに行っているのよ」と、教えてくれた。朝、保健室に登校してきたYさんが、自ら教室へ行きたいと言い出したそうだ。

 その日の昼休みに保健室に行くと、Yさんが友達二人を連れてきていた。Yさんが、絵本の朗読の話をすると、参加したいと言った子たちだった。その日は、四人で一緒に童話の朗読をして、すっかり盛り上がった。幸い、保健室には他に誰もいなかったが、先生はちょっと迷惑そうだったけど。

 その日を境に、Yさんの姿がぷっつりと保健室から消えた。登校してきて一度、保健室に顔を出すものの、無事に教室に戻ることが出来たと言う。

 「へえ、良かったですね」

 私は手をたたいて喜んだものの、正直ちょっと寂しかった。私はYさんに、連帯感のようなものを抱いていたから。でも絵本の世界にどっぷりつかったお陰で、私もぬくもりを思い出すことができ、居場所を見つけることができた。本と空想の世界は、身体の不自由さを軽く超えられる。私は、それまでも本好きで読んではいたが、より一層、深く本の世界に浸るようになった。

 小さな朗読会は終わってしまったけれど、私の心は明るくなっていた。

 今も気分の落ち込んだ時、絵本を広げるとあたたかい気持ちに包まれて気分が軽くなる。その絵本たちは、いつも手に取れるところに置いてある。いくつになっても、大切にしたい読本だ。

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