• 家の光協会が開催する
  • さまざまなコンテストや
  • 地域に読書の輪を広げる
  • ための講座等を紹介します

一般社団法人 家の光協会は、
JAグループの出版文化団体です。

『寄り添う本』 _読書エッセイ

佳作

『寄り添う本』

和井田勢津

 あの数か月のことを思い出すと、今も胸が苦しくなる。通り過ぎてきた道なのに、また戻ったらとこわくなる。

 明るく世話好きで、元気でいるのが当たり前だと思っていた母が、体の不調を口にするようになったのは、九十歳頃だった。その分我慢強かったし、心配かけまいと弱音をはかなかった。

 病院で残された時間が少ないと言われた後も、ひとり家でくらしていたが、急に体調が悪化し入院することになった。

 「キーパーソンはどなたになりますか」

 看護師の言葉がわからず、聞き返した。

 「何かあった時、一番に連絡する人です」

 四人兄弟の長女である私が書類に署名した。自分の手が震えるのがわかった。

 携帯電話を片時も離さず、「何か」の連絡を待った。びくびくしながら着信音が鳴らないことを祈った。

 眠ろうとしても、頭の芯が冴えわたって眠れない。

 今までは、枕元の本を何ページか読んでいるうちにいつの間にか眠ることができた。

 しかし、この時はどんな本も受け付けなかった。本を読むことができなくなった。暗闇の中でただ時が過ぎるのを待った。

 入院して三週間後、母は静かに旅立った。

 人はいつか死ぬものだとわかっていたはずなのに、こういう時は必ずくると心の準備ができていたはずなのに、喪失感は想像以上だった。動悸がして何気ない時にふと涙がこぼれたり、自分が思っていたより弱い人間だと気づかされた。

 本を読めない日は続いていた。

 好きだった本を読めないのは辛く、胸の中の本箱が蓋を閉ざしてしまったようだった。

  

 そんなある日、何気なく書棚をながめていた時、小さな本が目に入った。

 工藤直子の『のはらうた』シリーズだった。なつかしくて思わず手に取った。

 「かぜみつる」「かまきりりゅうじ」「けやきだいさく」などユニークな作者が自由にのびのびうたう。一つ一つの詩をゆっくり声に出して読んでいくうちに、澄んだ空気と明るい「のはら」の光景が広がるようだった。いきものたちの「大丈夫だよ」という声も聞こえるような、自分も自然の世界に入り込んでいくような、初めての不思議な体験だった。

 それからは毎晩『のはらうた』を二つ三つ読むようになった。現実のことは考えずにただ読む。読むというより感じる。

 空っぽの胃に、おかゆの一匙一匙がやさしく入ってくるように、本の文字、言葉で私の心身が温まってくるのを感じた。

 実家の後始末が一段落するまでは長い時間がかかった。つらい作業だったが、この本はずっと私のそばにいてくれた。

 そしてもう一冊、この時期に私に寄り添ってくれたのが、『詩ふたつ』という本だ。

 「花を持って、会いにゆく」「人生は森の中の一日」という二つの詩と、クリムトの美しい樹木と花の絵だけの本だ。

 長田弘は学生時代からずっと読み続けていた。この本も数年前に買って読んでいた。

 それなのに、この時は初めて出会ったかのように、言葉の一つ一つが心の内にひたひた押し寄せてきた。「花を持って、会いにゆく」私と、「あなた」に母が重なってくる。

 それまで抑えてきた感情が解放されたのだろうか。初めて思いっきり泣いた。

 「あとがき」の言葉も心に沁みた。「親しい人の死」が遺すのは「生の球根」という言葉は、私を前の方に向かせてくれた。生も死も自然のできごととして受け入れるのだと。

 私はこの『詩ふたつ』を何度も何度も読んだ。「今の私にプレゼントされた本だ」と思って、抱きしめた。

 本に救われている、本に慰められている、と感じた瞬間だ。傷ついてざらざらになった肌を、やさしくさすってくれているのは、本の手だ。そして母の手だった。

 本を読めなくなった日々。それは私にとってとてもつらい期間だったが、決して無駄な時間ではなかったと思う。

 この経験をして、気づいたことがある。

 本は、読めない時も、私を待っていてくれた。そっと見守っていてくれた。頃合いを見て

 「そろそろ、読んでみたらどうかな」

 と、ページを開いてくれた。

 そして一冊の本は人生の中で、何度でも人を感動させる力があることを強く感じた。

 この二つの本が糸口になって、私は少しずつ本を読み始めた。

 今では以前のように毎日読書を楽しんでいる。特に絵本が大好きになった。

 あの時、私にそっと寄り添ってくれた本たち、ありがとう。

ページトップへ