• 家の光協会が開催する
  • さまざまなコンテストや
  • 地域に読書の輪を広げる
  • ための講座等を紹介します

一般社団法人 家の光協会は、
JAグループの出版文化団体です。

『見つめられた種』 _読書エッセイ

優秀賞

『見つめられた種』

藤田一代

 黄色い小さい花を見つけた。庭掃除をしているとほうきの先にからまっている。つるがミョウガ畑まで伸び、子どもの手のひらくらいの葉をつけた西瓜の花だった。なぜこんな所に咲いているのだろう。しばらくしてわかった。お盆に帰省した息子や孫と西瓜の種飛ばしをした時の種が芽を出し花が咲いたのだ。久しぶりに見る花だった。

 今から四十二年前、その頃の私は保育士として四歳児を担当していた。西瓜の花を見ていると一冊の絵本『そらいろのたね』を思い出した。四月、二十日大根の種をまく季節にあわせ、子ども達に『そらいろのたね』の読み聞かせをした。忘れもしない。表紙はおもちゃの飛行機を持った赤と白のTシャツを着たゆうじと、茶色の半ズボンをはいたきつねだ。きつねは、ゆうじの飛行機が欲しくてきつねが持っていた空色の種と交換したところから話が始まる。物語は進み、ゆうじが水色の種に水をかけると土の中から豆粒ぐらいの空色の家が出てきた。この場面で子ども達のにぎやかな笑いが弾けた。種から家がはえてくる。私も初めて読んだ時はなんとも考えられない展開に驚いた。シンプルにおもしろかった。私は読み聞かせの時間がなによりも好きだった。一人ひとりの子どもの表情を見ながら語りかけることで心がつながる気がした。

 二十日大根の種まきから収穫する日まで、『そらいろのたね』を朝の集いや午睡前に読み聞かせた。収穫後も「読んで」と催促するので繰り返し読んだ。また保育室の絵本コーナーに置いていつでも手に取れるようにした。子ども達は二、三人でかたまって絵本を見ていることもあり、ページは何度となくセロテ―プで修理した。

 八月の上旬頃だった。A男ちゃんが「先生こっちに来て」と手を引っ張る。A男ちゃんは、どちらかというとほとんど手がかからないおとなしい子どもで、自分から声をかけることはあまりなかった。そのA男ちゃんが私を誘うので「わかったよ」と手を引かれるままテラスに出た。

 草に混じって西瓜のつるが生い茂っていた。A男ちゃんはにっこりして指差した。なんとポツンポツンと直径ニセンチメートルほどの西瓜の黄色い花が咲いている。私はおやつに出た西瓜で種飛ばしをした時の芽が出たのだと思ったが話を聞くと違っていた。A男ちゃんは「おやつに食べた西瓜の種に土かけた。水もやったよ」と言う。自然に発芽したものではなくB男ちゃんと二人で育てていたこともわかった。さらにA男ちゃんは「今、見たら西瓜があった」と葉っぱの下に隠れていた小さいピンポン玉位の西瓜を見せてくれた。得意気に話すA男ちゃん。周りにいたB男ちゃん達は「食べれるかね」「大きくなれ~」とはしゃいだ。

 子ども達は「ここにも小さい西瓜あるよ」と、つるを追って西瓜探しが始まった。一円玉のような大きさで濃い緑色の縞のついた西瓜を五、六個見つけ「まだあるかも」「どこにあるかな」等といつの間にか宝探しになった。

 A男ちゃんは、絵本『そらいろのたね』のように西瓜の種を植えると何がはえてくるか試したかったのだろうか。毎日、どんな芽が出てくるか胸がわくわくしたことだろう。私は、なによりも小さい命を育てていた純真な心にひどく感動した。

 早速A男ちゃんの家庭との連絡帳にB男ちゃんと西瓜の種を植えて観察していたこと。A男ちゃんが、芽が出て実をつけたタイミングで私に教えてくれたこと。話を聞いた私は愛おしい気持ちになったこと等を一気に書いた。

 翌日、母親から白い封筒が届いた。文面には兄と比べるとひかえめで、西瓜の種をまいて育てていたことを知り驚いた。これまで保育所に行きたがらない日もあったが最近は嫌がらなくなった。今、その理由がわかった。一番嬉しかったのは口数の少ないA男ちゃんがいつになく西瓜のことを話してくれたのでいっぱい褒めた。と丁寧な楷書でしたためたお礼の便りだった。もちろん手紙は私の宝物になった。

 振り返ると絵本に助けられた保育だった。今、絵本『そらいろのたね』の一ページを広げると紫のクレヨンで塗りつぶされたきつねがいる。パラパラとページをめくると修理したセロテープが茶色になっている。シャボン玉のようなしみもあり子どもの手跡だろう。

 あたたかいまなざしで種を見つめ、夢中になって小さい西瓜を探した子ども達は今年、四十六歳になった。西瓜のことを覚えているだろうか。私は、それぞれの子どもを思い浮かべるだけで心があたたかくなる。七十歳の私は来年も西瓜の季節に『そらいろのたね』の絵本を本棚から出し、ひとりで読み聞かせごっこをすることだろう。

ページトップへ