優秀賞
『写真の君へ』
田上裕子
出張先の駅前で古書店を見つけた私は、電車を待つあいだに本でも選ぼうと考えた。
帰路の電車で読むための一冊を探しに店内を進むと、口の開いたダンボール箱の中に夥しい数の文庫本が見えた。その一番上にあった本を手に、身振り手振りで「出しても良いですか」と店主へ無言の目線を送ると、電話中だった彼は片手で受話器の口を押さえて、「検品途中のものだけどいいよ。五百円ね」と素早く言い、電話を続けながら器用に片手でレジを打ち、本を袋に詰めてくれた。
座席に身を沈め買ったばかりの本を開く。
随分と大きな栞だなとページの隙間から紙を引き抜くと、果たしてそれは栞ではなく一枚の古びた写真だった。色褪せて少しザラつく感触のその写真には、和装姿の青年が一人写っていた。この本の前の持主だろうか。
帰宅する頃には、何気なく栞代わりにしていた写真に私は奇妙な愛着を感じ始めていた。そして毎日眺めるうちに、いつしかその青年に恋心にも似た思いを抱くようになっていた。
数ヶ月後、また出張の折に古書店へ向かい写真のことを相談すると、店主は検品の不備を詫び持ち主へ返してくれると言う。持参した短い手紙と一緒に写真を託し、その日はそのまま帰宅した。
「返事を預かっているのだが、どうしますか」と古書店から電話があったのはそれから三週間後のことだった。まさか返事が来るとは思ってもみなかったので、驚いた私は咄嗟にこう答えていた。「ぜひ取りに伺います」
手渡された白い封筒の表には「古書店のあなたへ」とあり、何だか面映ゆい心地がした。中の手紙には、写真返却の礼と簡素な挨拶が丁寧な筆文字で書かれていた。
「この方はお寺のご住職でね、とてもきちんとした面白い人だよ。住所を教えるから返事を書いてみたらどうかな」という店主の勧めもあったので、帰宅後私は少し考えてから何か気の利いた呼称の返しはないものかとしばし思いをめぐらせ、結果「写真の君へ」の書き出しで返事の返事を書いた。
するとまた返事が届き、その日から思いがけず心踊る古風な文通が始まったのだった。
半年に渡る往復書簡の内容はいつもお互い本の話ばかり。毎日郵便受けを覗くことが一番の楽しみになっていった。
いつでも遊びにいらしてください、の言葉に誘われて、ついに私は封筒に書かれた住所へ訪問することを決めた。
初めて会う実物の君は写真よりもすっかり歳を重ねていたけれど、優しい目元と伸びた背筋の美しさはあの古い写真と変わらぬままだった。まるで時を越えて懐かしい友達に再会したような気持ちがした。明るい笑顔でお茶を点ててくださる奥様のことも、私はたちまち大好きになってしまった。
美しく整頓されたお寺の本棚は質量共に圧巻の一言で、なかには既に絶版になっている名著も多数見受けられた。
初めての訪問から約一年間、私は季節ごとにこのお寺に通い続けた。
きっとまた来てね、約束よ、と毎回手を握って送り出してくれた奥様も続けてご住職も鬼籍に入り、今ではお寺も閉じられた。駅前のあの古書店も再開発を機に閉店したと聞く。
今ではあの土地へ足を運ぶ理由もお二人のお墓参り以外にはなくなってしまったけれど、今年も奥様の好きだった百合の花を墓前に供えながら、あの夢のような日々に思いを馳せている。
一緒にお堂を掃除して経をあげ、各々自由に本を読み感想を交わし、ゆうげを囲んで家路につく。香がくゆる静かな境内、温かなお茶、知の海に浸る会話、あの場所は本を愛する者の桃源郷だった。
いつも自信が持てずに内気だった私が、訪れるたび昨日よりもほんの少し良い自分になれたと思えるような、そんな場所だった。
「うちは子供がいないでしょう。年寄り二人だけの生活だから若い方の声が嬉しいわ」とはしゃぐ奥様の隣で、気に入ったものを好きなだけ持っていってくれとご住職が言う。
さすがにそれは駄目ですと恐縮して私が断る。いつもこんな調子だねと笑う二人の声が恋しい。
「本は人間よりも長生きだから。処分も一つの道だけど、できれば信頼できる誰かに託せたら嬉しいね」と二人はいつも言っていた。
こうして託された大量の本のために、今年私は自宅の一階を一部図書館に改装した。入口にはあの古書店の名前を冠した。
古典ばかり読んでいるので、もしかすると私は生者よりも死者と対話する時間の方が長いかもしれない。それでもいつかはこの場所をより開かれた広場にして、多くの人とあのお寺のような空間をつくってみたい。
最善策を模索しながら、時折もう会えない恩人へ手紙を書いては話しかける。
拝啓、写真の君へ。今日も私は本の虜です。