佳作
『長すぎるお礼状』
岡本悠花
2023年の7月に5年付き合った彼と結婚をした。
結婚式は挙げないし、私の苗字も変わらない(どちらの苗字に変えるか、ジャンケンで決めて私が勝った)ため、仕事の手続き上必要な相手と、ごく親しい友人にだけ報告することにした。
報告した友人の一人、S君が「結婚祝いです」と一冊の本を渡してきた。
それが萩原慎一郎の『歌集 滑走路』だった。
「短歌集なんですけど、僕が仕事で辛かった時にとても救われた本なんです」
私は短歌について『サラダ記念日』と『みだれ髪』くらいしか知らない。正直、軽く一回読んでお礼状に「素敵な本をありがとう」と書いて送ればいいと思っていた。
とはいえ『結婚祝い』としてもらった本なので夫にも報告すると「ちょっと有名そうな歌を一個読んでみてよ」と言われた。
そもそも萩原慎一郎のことを知らなかったので、どれが有名な歌なのかも分からない。そこで一番最初に書いてあったものを読むことにした。
『いろいろと書いてあるのだ 看護師のあなたの腕はメモ帳なのだ』
特に感情も入れずに淡々と読み上げた。
すると夫は即座に
「めっちゃいいね。これってその職業の一番かっこいいとこじゃん」
と答えた。
〝かっこいい〟と言う予想外の言葉。
「メモ帳に書く余裕が無いほど忙しいけど、患者さんの命に関わるから忘れないように必死ってことでしょ。そういう人達に俺は助けられたんだよな」
幼少期、体が弱かった夫はよく病院のお世話になっていたそうで、看護師さんの手にメモがを書いてあるのをよく見ていたらしい。
「他のも読んでよ」
と言うので、私が書いてある短歌を順番に読み上げて、夫がそれの感想を言う。最初は読んでも感想が全く浮かんでこない私だったが、いくつか読み上げていくうちに何となく「この歌いいな」と思うものが出てきたりして、お互いに感想を交換しあうようになった。
その歌の解釈について二人で意見が一致することもあれば、全然解釈が違うこともあった。気がついたら読み始めてから二時間ほど経っていた。
夫はあまり本を読むタイプではないし、読んだとしてもオカルト系の本が多いので、エッセイや小説が好きな私とは本の話をしたことは殆どなかった。二人でこれほど長い時間、同じ本を共有して語ってるというのは初めてだった。楽しいし、夫の考え方の意外な一面を知ることができた。
「せっかくだから一人でゆっくり読めば?」と夫に本を差し出したが、「一緒に読んだから、楽しかったんだと思う。だから明日また読んで一緒に話そう」と言われた。
それから数日間、夜になると私が短歌を読み上げて、感想を交換する日々が続いた。
著者である萩原慎一郎は残念ながら三十二歳で自ら命を絶ってしまい、もう彼の新しい短歌を読むことはできない。だけど、S君のように彼の短歌に救われた人が大勢いて、そんなS君が私達に彼の短歌を教えてくれて、私も彼の歌を届けたくて、こうして文章に書いている。
どのプレゼントもお祝いも嬉しかったが、S君は本を通して短歌の世界を教えてくれただけでなく、夫との読書の時間もプレゼントしてくれたようなそんな気がする。
しかしS君にこのことを伝えるのは何だか恥ずかしく、当たり障りのない絵葉書に、当たり障りのない文章を書いたお礼状を出してしまった。
8月の終わりにS君から手紙が届いた。最近は自分でも短歌を作り始めたということで、手紙の最後に自作の短歌が綴られていた。
『ジャンケンで苗字を決めし岡本の 不敵な笑みがまだ止まらない』
帰ってきた夫に手紙を見せて、この歌を読み上げた。
「こういう時、短歌で返事出来たらかっこいいよね」
私達は『短歌 作り方』で検索をはじめた。
しかし、そう簡単に良い短歌が出来るわけはない。上手い短歌で返事を書こうとするよりも、違う形で思ったことをそのまま文章にして伝えられないか。短歌のお礼だけでなく、この本と出会わせてくれた感謝を、ただ感想を書くよりも少し違った形で伝えたい。
こうして書いたのがこの文章だ。
しかし、いざ書いてみると本人に直接見せるのは恥ずかしいし、とてもお礼状の葉書には収まらない。
そこでお礼状に書くには長すぎるこの文章をエッセイとして投稿する。