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『祖母の日記』 _読書エッセイ

家の光読書エッセイ賞

『祖母の日記』

菊池健

 中村靖彦氏の『日記が語る日本の農村』を読んだ時のことを今も忘れない。「松本盆地の畑に八十年」の副題を持つこの著書は、新書版でありながらずっしりとした重みで読む者に迫って来る。日記の筆者は長野県山形村の農家、唐沢正三氏で、この本が発行された一九九六年当時、八十一歳。昭和五年から書き始めた日記は、まだ続いていた。叔父の出征から本人の徴兵検査という戦争の足音の記述。敗戦後の混乱の中で、農家に回って来る闇屋。農地改革に地主や地元の農家がどう対処したかも、唐沢氏は詳細に記録していた。

 「十年間、一日も欠かさず日記を付け続ける人は何事かを成し遂げる人物である」との言葉を、濫読の読書遍歴の間に見つけたことがある。唐沢氏に比べようもないのだが、私は母方の祖母の小さな日記に思いが及ぶのを禁じえなかった。

 日記帳ではない。月刊『家の光』が毎年の正月付録としていた家計簿のメモ欄こそ、祖母の日記だった。わずか数行のスペースしかない備忘録のようなコーナーに、己の日々の思いを書き綴っていた。戦後から平成六年十二月に七十六歳で亡くなる一週間前まで、一日とて欠落はなかった。

 新潟県佐渡市の北の端が私の故郷で、生家も母の実家も同じ集落の中にある。祖母の葬儀は最後まで一人で暮らしたその家で営まれた。子供、孫、甥や姪が首都圏や九州からも駆け付けた。祖母の日記の事を言い出したのは叔父であったか。田舎の葬儀は夜を徹する本物の通夜から始まるのだが、その間、参列した者たちは、祖母の日記を繙いた。

 皆が皆、同じことをしていた。自分の誕生日に祖母がどんなことを書いているのか知りたかったのだ。私も昭和三十三年一月九日の記述を探した。字体というものはそれほど変わらないものらしい。懐かしい祖母の字で「タヅ子(私の母)に二番目の子が生まれる。男の子。良い子に育つよう祈る」とあった。参列者は、通夜で日記を読んで流した涙を、葬儀の読経の中でまた思い出しては新たにするのだった。

 祖母の夫である祖父は三十代半ばの水兵として召集され、昭和十九年六月のマリアナ沖海戦で戦死。祖母と子供三人が残された。五十回忌を営んだ際、祖母は戦死公報が届けられたときの思いを参会者に語った。地区の者が集まり酒も出て、「名誉の戦死」と口々に言う。座を抜け出した祖母は、まだ幼かった叔母を背中に括りつけて海岸に出る。岩礁から海に入水自殺しようとしたその刹那、叔母が「母ちゃん、母ちゃん」と叫んだ。「その時、 あの子の温みが胸に来た。『ああ、子供たちにとって頼れる者は、この自分しかいなくなったのだ』と、そう思ったとき、初めて涙が出た」と。

 長年、祖父が戦死したマリアナの海を思い続けた祖母に、海戦の場所を慰霊でめぐる船の旅があることを私が教えたのは、亡くなる年の夏のことだった。心臓病が悪化してとても船には乗れない祖母は、この旅の主催者に手紙を託し、海戦のあった海に投げ入れてほしいと依頼した。

 「海底に眠る夫への手紙」と題されたその手紙の中で祖母は、果樹農家を夢見て祖父が植えた林檎の木がうまく育たず、切り倒したことを詫びていた。そして、三人の子供の内、長男は祖父の希望通りに大学に進ませ、教員にしたことを報告していた。女手一つで三人の子供を育て上げることは容易なことではなかったはずだが、泣き言は一切書かれてはいなかった。

 日記や手紙で文字に出来ない思いを、私は肉声で祖母から聞かされている。山の田圃の脇に小さな農作業小屋があるのだが、夏の田の草取りを祖母が汗まみれでやっていると、小屋の屋根で祖父がのんびりと煙草をふかしている。『ああ、ようやく帰って来てくれた』と思ったところで目を覚ます。この夢が何度も繰り返されたのだと言う。そして、「お国と言うものは本当に恐ろしい。一番愛しい人を連れて行ってしまう」と呟いたのだった。 どんな国家の定義よりも、私にとっては胸に迫る言葉だった。

 唐沢氏の戦後の日記には、農業を巡る環境が変化する中で、養蚕を諦め長芋や葱の生産へ転換するなど、地域を挙げての取り組みのことも出てくる。農業改良普及員になることで集落だけでなく、地域の農業を変えたいと、勉強を続けていた祖父の姿を、唐沢氏に重ねて私は読んだ。祖父の遺品の営農記録のノートは、祖母から叔父を通じて私に渡され、大事に保管している。

 祖母が最後まで住んだ家は空家になって久しい。今年は老朽化して傾き始めた納屋を解体したと母に聞いた。三十五戸の限界集落のこれからは誰にも分からない。しかし、祖父のノートは祖母の思い出と共に、私の子供、孫に伝えていきたいと思っている。

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