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『今をみつめる』 _読書エッセイ

佳作

『今をみつめる』

荒巻愛・長崎県・35歳

 本に救われた、と聞くと、どのように思われるでしょうか。大袈裟だと思われるかもしれません。自分にも経験があると思われるかもしれません。私は、知人を通して、「読書エッセイ」の取り組みを知りました。私の経験が、同じような誰かを救うことを願って、過去を嘆かずに、今を見つめようと思います。

 その日は前日から、この冬一番の寒波到来、と予報が出ていました。九州北部には珍しい一面の雪景色で、降り積もった雪は、まっさら、がぴったり。私は、思わず、娘の姿を思い浮かべました。まだ誰のあしあともない新雪と、この世に生を受けたばかりの彼女が重なったからです。

 ですが、すぐに、「痛いっ」と、出産で酷使した体が、悲鳴を上げ、今度は、ふいに母を思い出しました。掴もうとしてもするりと逃げていったあの人。求めることも許されなかった。

 凄惨な子ども時代を過ごした私は、娘の泣き声でフラッシュバックを起こし、度々、パニック状態になりました。「ごめんなさい」と、泣いている娘に繰り返し、一緒に泣き続けました。迫る記憶の波に、流されないように、もがきました。虐待の連鎖という言葉、聞いたことがあるでしょうか。苦しんだ思いを、また自分の子どもにさせてしまう、それも意図せず。残酷な定説だと思います。私の場合は、この定説を否定するために、【私はあの人とは違う (娘を愛してる) 同じことはしない】そんな風に思うけれど、接し方や愛情の表現が分からず、娘の泣き声と、過去の記憶が交錯して、パニックが起きる、という感じでした。医師には、「産後ノイローゼでしょう。」と言われました。

 しかし、意外なこと、少なくともその時の私には意外なことがきっかけで、娘と向き合うことが出来るようになりました。絵本の読み聞かせです。

 多分、退院して数週間が過ぎたくらいのことだったと思います。ある日、夫は、一冊の絵本を私に、差し出しました。夫の祖母が初ひ孫に、と送ってきた絵本です。私は、唐突な提案に、なんで、と目で問いました。いいから、と夫は言いました。私は、受け取り、読みました。その時、「こえ。」と、夫に言われました。読み聞かせ、に出会った瞬間でした。

 『アルプスの少女ハイジ』

 声に出して読みました。

 「アルプスの 山道を 五さいぐらいの 女の子が…」

 読む声がかすれました。泣いていたことに気付き、顔を上げました。夫の膝に抱かれた娘が、じっと私を見ていました。今でも、夫がなぜそうしたのかは、分かりません。古傷に触れるような思いがして、互いに、聞かないし、話さないからです。ですが、それが、絵本と、絵本の読み聞かせとの出会いでした。

 この日から、私と娘と絵本はいつも一緒でした。絵本を読むと、気持ちが落ち着きました。娘は、じっと私を見ました。「きゃっ」と声を出しました。ぽいぽい投げて私に拾わせました。落書きをしました。拾い読みをしました。二歳に差し掛かった頃でしょうか。

 お気に入りの絵本を一冊まるっと、暗唱していて、驚かせてくれました。それくらい、毎日たくさんの絵本をいっしょに、読みました。

 夫の祖母が、毎月の楽しみとして、絵本をセレクトし、送ってくれていたことは本当に恵まれていたと、思います。会うと、夫の祖母は、「ばあちゃんはね、女学校に行けなかったんだよ」と度々悔いるように話していました。「本をたっくさん読んでね、たくさん勉強するんだよ」と。

 そして、今、まっさらだった娘は、読書好きの、快活な少女に成長しました。すこしずつ自分の色を見つけている途中でしょうか。

 「そういえば、借りてきた本、読んだよ。」

 読書は私たちの共通の趣味になりました。

 絵本から児童書、児童書から、ライトノベル、純文学、新書。手に取る本の変化は私に、娘の成長を教えてくれました。

 我が家の新入りを、こそっと拝借していたことに気付いた娘から苦情が来たりもします。

 「一緒に読み始めちゃったら、なかなか読み終われないじゃん。」

 娘は、非難たっぷりの屈託のない目線を私に向けます。

 今でも私は、何気ない会話で、娘と自分の子ども時代との違いを鮮明にし、思考が過去に立ち返るとこがあります。それでも。同じ本を読む。同じ世界を見る。同じ時間を共有する。本は、娘を新しい世界へ導き、私に、今を見つめることを教えてくれます。

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