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『年末帰省旅からの読み始め』 _読書エッセイ

佳作

『年末帰省旅からの読み始め』

中居寿・石川県・68歳

 学生時代の年末の帰省。その東京・金沢間の旅中で読み始める本を選ぶのは、当時の私にとってそれなりの楽しみであった。いつも本はそばにあるという日常だったが、年末に買う本は特別だった。具体的に言うと、いつもは大学生協で文庫ばかりを買っていたが、年末には大きな書店に足を運んで単行本を買った。有名書店のブックカバーをつけた本を手にしながら、故郷の駅に降り立つ。そんな凱旋意識もはたらいていたかもしれない。一年のはじめに読む本を大切にする思いが、今も頭のどこかに生きているのは、当時からの繋がりなのだろう。

 もう五十年になろうかという頃の話だ。帰省は、急ぐ用事がなければ(一度もなかったが)、新宿から松本、松本から金沢という、ほぼ一日がかりの行程にしていた。このプランは、山梨出身の友人の家に遊びに行った時、中央本線を利用したことから生まれた。美しい車窓の風景に心が奪われたのと同時に、終着の松本から、五時間ほどかけて金沢に向かう直結便があることを知る。私にとってそれは画期的なニュースだった。

 急ぐ旅でもないとしながら、新宿・松本間は特急「あずさ」を利用した。松本でゆっくり時間を持ちたかったからで、帰省というより旅の感覚を優先していた。

 あずさの車中では、まだ新しい本は出さない。その代わり、読みかけの文庫本を窓辺に一冊置いておく。しかし、車窓に広がる冬枯れの風景に目をやる時間の方が多く、本は閉じられたままだった。

 松本に着くと、そのまま街を歩いた。当然だが、年末の松本は寒い。滞在できるのは三時間あまり。松本城などにも行ったりはしたが、ほとんどは決まった目的のない街歩きだった。いつの間にか松本の街に詳しくなっていったのは、そんなことを繰り返していたせいでもある。

 適当なところで昼食をすませると、最後は必ず駅前にあった「山小屋」という喫茶店に寄った。自分にとって、山はまだ眺めるだけの世界だった頃だが、その数年後に登った西穂高岳の山荘の系列店だと知った時には、なぜか嬉しくなったのを覚えている。

 必要以上の明るさを抑えた、静かな店だった。コーヒーを頼み、文庫本を開く。今もはっきりと覚えているのが、初めてその店に入った時のことだ。島崎藤村の『夜明け前』を読んでいた。藤村を読破しようと思っていた頃だ。全作読破を完遂できたかどうか覚えていないが、それなりにチカラを入れていたのはまちがいない。分厚かった『夜明け前』の文庫本も、そんな私を鼓舞していた。

 大学の四年間、私はある運動部の寮に住んでいた。同部屋の先輩には読書家もいて居心地は悪くなかったが、時間があるとジャズ喫茶へと出かけ、そこで好きな本の世界とジャズに浸った。スポーツ、ジャズ、そして本の世界が導いてくれた諸々、これらが私自身を形作っていったと言ってもいい。

 「山小屋」には一時間ほどいて、時間が来ると松本駅へと向かった。午後の二時近く。日に一本しかない大糸線の急行が、ディーゼルの音を響かせながら待機している。ホームも、ホームから見える客車の中もがらんとしていて、寂しげな空気感とは逆に嬉しさが高まる。これから安曇野・大町・白馬を経て日本海側へと向かう。そして糸魚川で、新潟方面と金沢方面との車両に切り離される。白馬へのスキー客が押し寄せる直前の数日。いつもそのあたりを狙っていた。

 大糸線でも、車窓からの風景をぼんやり眺めてばかりいた。時間調整もよくあり、停車した小さな駅のホームへ下りるのも好きだった。ようやく日本海側に出て列車が分離される頃になると、外はすでに暗くなっている。北陸本線に入って、あとは金沢に向かってまっすぐ進むだけだ。

 そして、隣の席に置いていたカバンの中から、真新しい有名書店のカバーが付けられた一冊の本を取り出す。周辺の席には少し客は増えているが、気にはしない。金沢に着くまでの約二時間を、この本のための時間にするのだ。

 本を手に取り、栞紐を一旦抜き、最初のページに入れ直す。なんとなく、この本が自分のものとなり、これから同じ時間を過ごしていくような気になる。今から読み始めることによって、同じように新しい年を迎えるのだと。

 この年末の一日旅は、当然大学卒業と同時になくなった。忘れられない思い出だが、本とともにいるという今の自分に、しっかりと繋がっている。さまざまな世界が自分の中に広がっていくのを知ったのも、あの思い出の旅を振り返った時だった。

 また新しい年が来る。そろそろそれに向けての準備にとりかかろうと思う。

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