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「背中を押してくれた本」 _読書エッセイ

優秀賞

『背中を押してくれた本』

岩野聡子

 「いのちを育てて、いのちをいただく、そんな仕事がしたい」

 志望校を尋ねた私に、当時中学三年生だった息子が答えた返事だった。「え?」とすぐには理解できなかった私に、「畜産の仕事に興味がある」と息子は続けた。

 我が家は稲作の兼業農家。多い時には八人家族でそれはそれは賑やかな日々を送っていたが、主人が単身赴任、主人の祖母が老人介護施設へ。長女、次女と自分の夢に向かって親元を離れ進学。だんだんと静かになってきた時、末っ子の息子の口から出た言葉だった。

 ペットすら飼ったことのない中で、昔から服が汚れることを嫌い、匂いに敏感で、末っ子らしく甘えん坊、「お先にどうぞ」の、のんびりした性格の彼が畜産? 思いもよらない答えに私は戸惑った。きっかけを聞いてみると、農業高校を舞台にしたアニメの影響だという。私は急いでそのアニメのコミックを全巻購入し、早速読んでみた。そこには、親元を離れて農業高校に入学し、そこでたくさんの動物や仲間と出会い、成長していく青年の姿があった。読み進むうちにその青年は息子と重なり、数々の困難や苦労に立ち向かう姿に涙があふれた。それと同時に、「こんなに大変な仕事を、彼はやっていけるのだろうか…」と、私はとても不安になり、どんなアドバイスをすればいいのか分からずにいた。

 そんな時、知り合いのよしえさんに相談したところ、一冊の絵本を手渡してくれた。タイトルは『夢は牛のお医者さん』。実は、私が住んでいる伊万里市黒川町では、家読(うちどく)という読書活動に力を入れており、私もよしえさんも読み語り活動を一緒に行っている仲間である。そんな彼女が「今のあなたには、この本がピッタリよ」と勧めてくれたのだ。その絵本は実話を元に作られており、主人公の女の子が、新入生の代わりに入学してきた三頭の牛と触れ合うことで、いのちの大切さ、それに関わる人々の苦労や喜びを知り、獣医を目指すというものだった。読み終えた私は、はっとした。息子を心配していたのではなく、彼の気持ちや思いをきちんと聞く前に、できるだけ苦労せずに進む道がないかということばかりを考えていたからだ。絵本の女の子は、最後には肉牛として出荷されると分かっている牛たちを、一生懸命に世話をし、看病をして大切に育てていく。お別れの「牛の卒業式」の場面では、涙が止まらなかった。数々の困難と経験があったからこそ「獣医」という夢を見つけた彼女。息子にもこんな経験や大切な出会いがあるとしたら、どんな未来が待っているのだろう。気が付いたら私の不安は大きな希望と楽しみに変わっていた。

 地元、伊万里では畜産も盛んで、息子は大好きな佐賀牛をたくさん食べて育ってきた。学校では地産地消を学び、自分たちの手で田植えをし、キュウリを育て、ジャガイモを掘った。そんな環境の中で育った息子が、「食」に興味を持つことは何の不思議もなく、地域に育てられてきたのだという事を改めて実感した。

 令和二年の春。息子は親元を離れ、熊本にある農業高校の畜産科に入学した。コロナ禍で心配もあったが、小学校から続けてきた野球ではなく「牛部」に入部し、どっぷりと牛にハマった日々を過ごしているようだ。送られてくる写真は牛ばかり。帰省した時にはそんなかわいい牛たちの話を嬉しそうに聞かせてくれる。

 私は小さい頃、父から「自分にしかできないことを見つけなさい」と言われてきた。そして、「音楽」という自分らしさを見つけ、今もピアノを教える仕事をしている。家庭で「夢」について語り合える環境があるのは、とても大切なことだと改めて思った。私が息子を送り出すことができたように、読書には夢のきっかけやヒントがたくさん詰まっている。まだまだ息子の夢への道は始まったばかりだが、これからも、私にも彼にも読書を通じてたくさんの出会いがあることを願い、子ども達の未来を応援していきたい。

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