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「読書会で出会った本」 _読書エッセイ

優秀賞

『読書会で出会った本』

三島葉子

 二〇二〇年の正月、新型コロナウイルスが日本に上陸する少し前だった。町の本屋の読書会に参加した。その日は各自、おすすめの冊子を持参して皆に紹介する企画になっていた。十数名の出席者はほとんどが若い人だったので、現代の新しい小説や、はやりのコミックなどが目立った。

 が、最後に全員の投票で一位になったのは、新しくもない、はやりでもない、およそ七十年前の古い小説だった。若い女性が熱く語った、サマセット・モームの『劇場』である。恋に破れた中年の女優が、それを糧に成長する物語のようだ。女性の生き方を描いた作品だという。心が動いた。

 当時、古希を過ぎて、自分の来し方を振り返ることが多くなっていた。結婚して、子どもを産み育て、義父母を看取り、どこにでもある普通の女の一生だった。つねに目の前のことで精一杯だったので、己の生き方について深く考える余裕もなかった。そうして歳を重ねた今でも毎日、家族四人の、おさんどんに追われていた。

 このように過去を振り返り、現在を見つめるたび、私の人生は何だったのか、このまま終わっていいのだろうか、と漠然と思うようになっていた。『劇場』と出会ったのは、ちょうどそんな時だった。主人公の女性はどんなふうに生きたのだろう。ぜひ知りたいと思って、私も一票を投じた。

 翌日、市内の図書館へ急いだ。係りの人が地下の倉庫から探しだしてきた『サマセット・モーム全集』の中に、それはあった。帰ってよく見ると、文字が小さい。インクも薄い。しかも大昔の出版のせいか、旧かな使い。読書はなかなか進まない。

 もう少し読みやすいのはないのか、本屋で尋ねたらすでに絶版とのこと。近場のほかの図書館を当たってみるがどこにもない。ふと思いついて、手元の拡大鏡を、右目に当ててみた。文字は大きくなったが、鏡を移動しながら読むのは、手がだるくて続かない。

 そんなある日、息子がニヤニヤしながら、一冊の文庫本を差し出した。えっ、びっくり。『劇場』だ。推薦した女性が手にしていたのも、この文庫本だった。開いてみると、文字が大きくて読みやすそうだ。私が難儀している姿を見て、隣市の図書館まで行ってくれたという。感謝、感謝である。おかげでそれからは、スイスイ読むことができた。

 主人公である女優・ジュリアは、親しい男たちに囲まれて楽しく暮らしている。が、物語は途中から急展開。まわりの男たちに、ことごとく裏切られる。深い孤独と失望。が、ジュリアは負けない。すべての熱情を舞台に転じてゆく。

 最後のシーンが好きだ。舞台で大成功を収めたジュリアは、ひとりで、たったひとりで、食事に行く。ビールを一息にぐーっと傾ける。ビフテキを丁寧に味わう。

 「ビフテキと比べたら、愛情なんてなんであろう?」

 彼女の高笑いが聞こえてきそうなラストである。うれしくなった。そうこなくっちゃ。さまざまな試練を乗り越えて、自分の人生を更なる高みに押し上げたジュリアに心から拍手を送りたい。

 そして、思った。私は彼女とは違う時代に生きている。きれいな女優でもない。それでも、前を向いてたくましく生きる姿勢だけは同じでありたいと。

 本を閉じると、ビフテキが食べたくなった。勇気を出して一番近いステーキ屋へ行ってみた。ジュリアのように、ひとりで、たったひとりで。連れもなく食事の店へ入るなんて、過去に一度でもあっただろうか。心臓がパクパクとび跳ねる。

 ノンアルコールビールを一口ずつ喉に入れる。ビフテキを小さく切って咀嚼する。

 「う~ん。しあわせ」

 思わず笑みがこぼれる。背筋が少しだけ伸びたような気がした。今からでも、何かできそうな楽しい気分になった。

 これからは、いつも毎日に、このような非日常の時間を積極的に入れてゆこうと決める。それが、前を向いてたくましく生きることに繋がってゆくに違いない。グチュグチュ愚痴る前に、まず一歩だ。

 ところが直後、コロナがやってきてステイホームの世の中になった。外で、日常と違う時を過ごすことはできなくなった。そこで、モームの全作品を読破する計画を立てた。家の中でも持てる非日常の世界だ。おかげで籠こもっていても楽しい。息子が言った。

 「このごろなんだか明るくなったね」

 時は流れて二〇二一年の秋、感染者はやっと減ってきた。読書会の事務局から久しぶりにメールが届く。時間を短くして再開するらしい。ぜひ出席して『劇場』を教えてくれたあの女性にお礼が言いたい。

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