家の光読書エッセイ賞
『グラデーション』
原田あかり
息子の通う小学校では、四年次に「二分の一成人式」なるものが開催される。二十歳の半分、つまり十歳になる児童達が、保護者の前で将来の夢を宣言するという。
寒さと緊張で、講堂は凛とした空気に包まれていた。児童が一人ずつ名前を呼ばれて、壇上で宣言していく。私は息子の後ろ姿を見つめ、幼い頃を思い出していた。
「お子さんはグレーだと思います」そう言ったのは保育園年長時の担任だった。他の先生は揃って言葉を濁し、言及を避けていた。そんな中、発達障害の専門家でもない彼女が慎重に断言したのは、就学前に対応しなければという彼女なりの使命感からだったろう。
「お部屋でずっと絵本を読んでいます。給食やお昼寝の時間になっても読み続けていて、指示が通りません」絞り出すように話す彼女を見て、他の先生達も、白とも黒ともつかない曖昧な言葉で、暗にグレーだと伝えていたことに気付いた。
その日、空には薄黒い雲がまばらに広がり、空全体を灰色に見せた。私は園庭に立ちつくし、彼女の言うグレーはこの空より黒いだろうかと、ぼんやり思った。
息子は家でも本を読んだ。声かけで指示は通らず、本を取り上げて食卓や風呂場まで連れて行かないと、生活は進まなかった。それでもまだ五歳、どこも同じと構えていたが、その日を境に見え方はガラリと色を変えた。
発達障害専門外来で、息子は自閉スペクトラム症と診断された。スペクトラムとは、グラデーションのような曖昧な境界の連続体を意味すると知り、あの日の空が胸をよぎった。
流されるままに通院を始めたものの、医師は毎回、息子に対する接し方の助言に終始し、まるで私が患者のようだった。内容は一貫して無理強いしないようにというもので、「風呂に入らなくても死にませんよ」などと言われた。その場では神妙な顔で頷くが、家に帰ればあの手この手で風呂に入れた。そうすればグレーの黒さが薄まるような気がして、息子が嫌がればそれだけ私も意地になった。
私のグレーへの抵抗をよそに息子は本を読み続け、小学生になった。宿題も食事も風呂も終えずに本を読む姿は、私を苛立たせた。息子は読書を中断されると暴れるようになり、その力は日増しに強くなった。私は必死にさせようとし、息子は必死にさせまいとした。
私は疲れ果てた。休職を決めたとき、息子は小学三年生になっていた。
時間の余裕が心の余裕となり、全く宿題をしない息子を諦観の境地で静観するようになった頃、私は本を読み始めた。発達障害や心理学の本、あらゆる本を読んだ。私の悩みや考えに対し、本は書き手を変え、視点を変え、様々な見せ方で私を共感させ、驚愕させ、感嘆させた。「人は無意識の内に、自分が育てられたように、子を育てる」という文章に触れたときは、両頬を強く張られたような衝撃を覚えた。幼少期に受けた躾は、もはや私の正義だった。私はその正義を疑うことなく、また息子の気持ちを慮ることなく、息子に押し付けていた。私は愕然とした。
この強烈な気付きは、深い後悔となり私を落ち込ませた。一方で周囲を気にも留めず一心不乱に本を読む彼の姿に、胸をつかれた。
そして唐突に悟った。彼はただ知りたいのだと。私が彼を知るために本を読んだように、彼は本を通して、この世界のあらゆることを知りたがっている。グレーと言われた息子の瞳は本を読む毎に多彩に輝き、世界をカラフルに見せている。息子を魅了し私を困惑させた本に、私は救われようとしていた。
あれからさらに一年が経ち、息子は十歳になった。行きつ戻りつしながら彼と歩いてきた日々は、グラデーションのスペクトラムのように、豊かな色彩を私に見せてくれた。
講堂に息子の名前が響き渡る。彼は小さく「はい」と応え、ゆっくりと立ち上がる。
ふいに、あの空を思い出す。グレーと言われたあの日、空は本当に灰色一色だったろうか。夕暮れ時だった。遠く西の空で暮れ始めた陽が、薄く朱く空を染めてはいなかったか。
壇上へ向かう息子を目で追う。彼は一礼して演台の前に立つ。私は、彼と向かい合っているような錯覚を起こす。
「僕は、本が大好きです」
その声を聞いたとき、あの日の空の茜色を見た気がした。忘れていた、いや、見ることのできなかった色。周りが見ている色を見ようと、私は自分の瞳をグレーに染めていた。
私の耳に、彼の声が届く。
「将来の夢は、小説家になることです」
講堂の高窓から射し込んだ柔らかな陽射しが、彼の顔を優しく照らした。小さな体で真っ直ぐ前を見つめる彼の瞳は、五歳のときのままで、私は息子が変わらずにいたことに誰ともなく感謝をした。そして、どうか本が彼の世界を作り、守り、彼が生きていく道を色鮮やかに染めるよう祈った。