佳作
『ランチタイムを、あなたと』
村上愛世・東京都・48歳
もう二十年以上も前、私が会社員だった頃のお話。
私には四人のランチ仲間がいた。全員女性で先輩から後輩まで年齢は様々。時計の針が十二時を指すと、ランチ片手に会議室に集まり、ワイワイお喋りをしながら昼休みを過ごしていた。
ところが一人は産休、一人は退職、そしてもう一人は支社への異動が決まり、同時に三人が仲間から抜けることになった。
残されたのはAさんと私の二人。私は彼女が苦手だったので、これは困ったなと思った。大人数でいれば気にならないが、二人にされると共通の話題がなく微妙な空気が流れてしまう。一言で言えば“ウマが合わない”のだ。
Aさんも同じように思っていたと思う。
いっそのこと、「これからは別々に食べよう」と提案してみようかと思った。けれど、あなたと二人だけで過ごす昼休みは嫌ですと告げているようで、私には言えなかった。Aさんからも何も言われなかった。
こうしてAさんと私、二人きりの昼休みが始まった。
しんとした会議室の机で、私とAさんは向かい合ってお弁当を広げる。
「最近、何かドラマ観ている?」
必死に共通の話題を見つけようと私が頑張ると、「何も観ていない」と、Aさんが返す。
「○○ってバンド知っている? 私、昨日ライブに行ったのよ」
反対にAさんが話し始めても、私はそのバンドの曲どころか存在すら知らない。案の定ぎこちない空気ばかりが流れ、ひたすら午後の仕事が始まる時間になるのを待ちわびる日々。五人いた頃は楽しかった昼休みが、もはや憂鬱な時間でしかなくなってしまった。
そんなある日の金曜日、お弁当を取り出そうとAさんが広げたバッグの中に、本が一冊入っているのが見えた。聞くとAさんは小説が好きで、常に何かを読んでいると言う。
「今は何を読んでいるの?」
じつは私も読書が大好きだ。やっと見つけたAさんとの接点に、私は迷わず食らいついた。
Aさんの表情も明るくなった。彼女はいそいそと本を取り出すと、自分の大好きな作家の新作なのだと教えてくれ、「今朝電車内で読み終わったから、よかったら貸すわよ」とまで言ってくれた。私もお返しに、いつもバッグに入っているアガサ・クリスティの一冊をAさんに渡した。お気に入りの本を交換したことで、Aさんとの距離が一気に縮んだような気がして嬉しかった。
だが世の中、そううまくはいかない。Aさんから借りたその小説は、内容も文体も、主人公のセリフ回しも私の肌に合わなかった。
「すごく面白かった! ありがとう」
こうAさんに言えたらどんなにいいだろう。あの場面良かったよね、なんて感想を言ったりして楽しく昼休みを過ごせるに違いない。けれどページをめくるごとに苦痛が増し、二百ページ頑張ったところでギブアップした。
月曜日の昼休み、会議室に行くとすでにAさんが来ていた。
「これ、途中までしか読めなかった。私に合わないみたい。せっかく貸してくれたのにごめんね」
Aさんは申し訳なさそうにクリスティの文庫本を撫でた。その率直さにつられて、私も借りた本を差し出す。
「じつは私も読めなかったの。私達、趣味が全然合わないのかもしれない」
はっきり言い過ぎたかと後悔しかけたが、予想外にAさんが大笑いした。
「やっぱり? 私もそう思っていたの」
それからの私達は無理に話題を探したりせず、お互い黙々と好きな本を読んで過ごすようになった。時にはどちらかが買って来たお菓子の袋を、二人の間に広げて食べながら読んだり、自分が飲むついでに相手の分も珈琲を淹れて、そっと手元にカップを置いてあげたりした。
私の退職の日、私達はプレゼントを贈り合った。Aさんから手渡された包みを開いてみたら、布製の文庫本カバーが出てきた。私がAさんに渡した包みの中身も、同じく布製の文庫カバーだった。
「私達、一緒にいるうちに似てきたのかも」
柄は全く違うけどね、と付け足して笑ったあの日のAさんを、時々懐かしく思い出す。
毎日お昼の一時間を、同じ空間で二人きりで過ごしたにも関わらず、Aさんと私は仲良く外にランチを食べに行ったり、社内の噂話に花を咲かせたりしたことはない。
同じ本を読んで感動を分かち合ったことも、ついに一度もなかった。
けれどあの静かな会議室には、純粋に読書を楽しむ私達が生み出した、暖かく和やかな雰囲気が満ちていたような気がする。