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「馬馬虎虎(まあまあふうふう)」 _読書エッセイ

佳作

『馬馬虎虎(まあまあふうふう)』

斎藤ヒサ・秋田県・89歳

 最近、有名人が、人生の終りにあたり、終活や、自分の生き方、思いを書いたエッセイ自分史を出版しています。
私は、もうすぐ九十歳。体の事を考えると明日の日も危ない身。人生の幕引きの仕方、終活をいつも考えています。
 そんな私は、少しでも参考になればと考え、同年輩の方々が出したエッセイを読んでいます。
『九十歳。何がめでたい』
 佐藤愛子さんのエッセイには同感でした。
 長生きする事は、必ずしも、めでたい事でないと、私も思っていましたから。
九十歳で亡くなった私の母の口癖は、
「年とって生きるのは、難儀なこっちゃ」
でした。私は、その度、
「長生きして、良かったと言いなさい」
と、母を叱っていましたが、今、母が言ってる事が分かりました。私も難儀な毎日です。
 三月、八十九歳になった私に、娘が、
「誕生日、おめでとう。プレゼントです」
と、言って、八千草薫さんのエッセイ、
『まあまあふうふう。』
を、手わたしました。
 八千草薫さんとは、同年輩、共に昭和の戦争に翻弄され少女時代を送った女性。
日本の一番大変な時代、彼女は、どんな生き方をしていたか興味があり、いっきに、その本を読みました。
八千草さんは、二歳の時、父が病死。私は十歳の時、父が病死。彼女と私、父が居ないのは同じですが、彼女は三歳の時から母と別れ育っているが、私は、母と三人の妹と、いっしょに育った。そう育ち方が違いました。
 本の題、「馬(まあ)馬(まあ)虎(ふう)虎(ふう)」は、中国からきた言葉で、いい加減という意味だそうです。
 しかし、おざなりでなく、良い加減、ほど良くと言う事だと。私は納得しました。
 八千草さんは、誰からも好感がもたれた女性でした。なる程、ちょうど良く、生きたからだと分かりました。
 八千草さんが、このように考えるようになったのは、亡き夫から、
「いい加減に生きなさい」
と、言われたからでした。彼女は、この言葉で、考え過ぎない、力をぬいてやっていこうと、思ったと。
 彼女の夫、谷口千吉さんは、明治の終りの生まれと書かれていたのを見て、そうか、私の母は明治四十年生まれ、母と谷口さん、似た所があると。母は、何事も、まあまあ、ふうふうでしたから。そうだから、夫亡き後、戦中戦後の大変な時代、四人の子供を育てあげる事が出来たと、今思います。
 最近の私は、体のあちこちが弱くなり、若い時のように動けず、年なんだから仕方ないと思いながら、いらいらしていましたが、
『まあまあふうふう。』を、読んでから、何事も、これでいいやと、いい加減にするようになったら、カッカッしなくなりました。
 そう穏やかな、おばあさんになりました。
あら不思議、いらいらしなくなったら、気が楽になったのか、人の手を上手に借りれるようになったのです。
 背丈が縮まったのか、手が届かない所が多くでて来ました。例えば洗濯物を干す時、
「これ、干して」
と、家族に頼みます。すると、
「むりするな、怪我されたら困るよ」
と、言って干してくれます。
 八十九歳になったら、自分の手で出来ない事が増えましたが、出来ない事は頼み、なんでも良い加減に、「まあいいや」と、すごしています。
 つい最近までは、
「若い者に負けてたまるか」
と、言った気負いがありましたが、まあまあふうふうで暮すようになったら、気が楽になりました。
 これから、いくら頑張っても、そう長くはありません。
 それなら、かわいい婆さんで居ようと思いました。
 年を取ると、物忘れします。
「あ、又忘れた。ごめん」
 年を取ると、ちゃんと出来ない事があります。その時は
「あ、しっぱいした。ごめん」
と、そう何事も気負いのない生き方です。
 これも、あれもと、終活の事を考えていましたが、まあまあふうふうで、一人娘に
「これと言った財産はないけど、家も土地もお金も、全部、残ったものは、お前の物、売ろうが捨てようが、御自由に」
と、言いました。
 そうしたら、本当に気楽です。
 私は終活もせず、まあまあふうふうで、余生を送っています。

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