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「とくべつなよるに」 _読書エッセイ

優秀賞

『とくべつな夜に』

海老澤仁華・茨城県・17歳

 この本を開くといつも思い出す。私にとって忘れられない日。三月十一日の東日本大震災。
 私の住む水戸は梅の名所。春を待つ満開の花の甘い香りが漂うあの日、私は小学一年生だった。金曜日の帰りの会、次の日のお出かけが楽しみでウキウキしながら先生の話を聞いていた時に突然大きな音を立てながら地面が揺れ始めた。今まで経験した事がない激しい揺れ。叫ぶ声、物が落ちる音。私のお気に入りの本が沢山入っていた本棚からも音を立てて落ちていく。ただただ怖かった。
「落ち着いて机の下に隠れて。大丈夫だよ」
 先生の言葉だけを頼りにおさまるのを待つ。避難しながら、地面に散乱する本が踏まれてしまわないか心配で何度も振り返った。私は両親共に遠くに勤務していたため、すぐに迎えに来れず体育館で待つ事になった。一人二人とお迎えがくる中、外はどんどん暗く寒くなっていく。停電した静かな体育館は私の不安を募らせた。
 我慢していた涙が溢れ始めた私。先生は私の手を握りちょっと待っててと言うと、一冊の本を手に帰ってきた。私が本を読むことが大好きなことを思い出したのだろうか。持ってきてくれた本はいつも読んでいた『あらしのよるに』だった。
 友達はみんなこの本を読みたがらなかった。やぎのメイとおおかみのガブの種族を超えた友情がテーマの、『あらしのよるに』。二人に友情が芽生え冒険をする中で、すれ違い疑心に囚われながらもお互いを信じお互いのために生きる姿は高校生になった今でも考えさせられるものがある。仲が良かった友達は私が隣で『あらしのよるに』を読み始めると、ガブが怖いといつも言っていた。でも私はガブのメイに対する優しくて面白い口調が好きだった。
 難しいことは分かるはずもないが、二人の関係から幼心にも何かを感じとり魅了されていたのだろう。
 私を膝に乗せて本を懐中電灯で照らしながら始まった私のためだけの朗読会。ときどき私の目を見て微笑んでくれる。臨場感溢れる読み方は私の心を夢中にし、二人でハラハラドキドキしながら絵本の世界に入っていったことを今でも覚えている。冬の澄んだ空気と真っ暗な体育館は絵本の中に登場するポロポロヶ丘のようで、目を閉じると一面に広がる絵本と同じ景色が想像できた。
 気がつけば地震の不安を忘れ『あらしのよるに』の世界に入り込んでいた。
最終話、ガブとメイは二人で試練を乗り越え幸せな夜を迎える。読み終わると先生の目は涙でいっぱいだった。私はいつものように笑ってみせた。先生も、お友達みんな元気でよかったと笑った。先生は嬉しくて泣いていたのか悲しくて泣いていたのか分からなかったけれど、初めて見た先生の涙だった。今考えると、生徒の無事とこれからの学校生活に先生が抱えていた思いは計り知れない。それが故の涙だったのだろう。
 あっという間に時間は過ぎていき程なくして母が迎えに来てくれた。帰り際に先生は
「今日は特別な夜だね」
と言った。
 帰り道、先生と『あらしのよるに』を読んだからへっちゃらだったよ、と言うと母も安心し笑ってくれた。それから真っ暗なでこぼこ道を手を繋いで歩いて帰った。空がとてもきれいだった。今まで見たことがないくらい星が輝いていた。『まんげつのよるに』の中でガブとメイが一緒に見た輝く夜空にそっくりだった。
 あれからもうすぐ十年が経つ。わたしは三月十一日を迎えると『あらしのよるに』に自然と手を伸ばしてしまう。小学一年生だった当時は東日本大震災のすべての事実とその日の重さを分かりきることは出来なかった。しかし甚大な被害は決して忘れてはいけないものだと成長するにつれて受け止められるようになった。三月十一日の事を忘れないように。
ページをめくれば今でもあの時の情景が蘇る。先生の温もり、朗読してくれる声、溢れた涙。不思議なくらい鮮明に思い出すことが出来る。
 あの夜はたしかに特別な夜だった。
 もう二度と経験のできない夜。そして、一生忘れてはいけない夜だ。

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