佳作
『桐箪笥と「破戒」』
渡辺惠子・神奈川県・84歳
昭和三十年四月二十日。私の二十歳の誕生日のことだった。
「何事も無く二十歳を迎えられ、本当に良かった。おめでとう! これは、お祖母ちゃんからのお祝いだよ」
祖母は紫色の袱紗を私の前に差し出した。
「……」私は予期せぬ出来事に無言で祖母の目を見詰めていた。
「開けてごらん」と祖母は笑みを浮かべた。お金にしては嵩が有り過ぎると思いながら袱紗を開いた。
『郵便貯金通帳 渡辺惠子殿』
と記された古びた貯金通帳だった。
ページをめくると私の誕生月から二十年間、毎月毎月の収入印がびっしりと押されている。
夢想だにしない現実に、ただただ驚く。
最後のページを見て、私はまたまた驚いた。
『満期額 弐百円也』と記されていた!? 弐千円也の見間違いと思い見直したが、やはり弐百円也だった。私は思わず祖母の顔を見た。
祖母は間が悪そうに、
「今日の二百円じゃ、下駄一足買えやしないねぇ。二十年前の予測では、桐箪笥が買える勘定だったんだが、すっかり貨幣価値が下がってしまい残念だよ」と苦笑し、
「何かの足しにでもしておくれよ」
と通帳と判子を渡してくれた。
その頃、読書好きの私は書店にとっては迷惑な立ち読みの常連で、勤め帰りに足繁く通いながらも、未だに一冊の本も買わずに店を出ていた。この事については、何時も後ろめたさを感じていたが、私には本を買う余裕がなかった。書店主はどう思っているだろうかと考えつつも、それを止められずにいた。
例の私の読書(?)は毎回、数ページ読んでは元の書棚に戻すことの繰り返しだった。その日も何時もの書棚を覗くと、『破戒』島崎藤村は、まだそこに居た。私は意中の人に手を差しのべるように、『破戒』を手に取り前回の続きを読みだした。ところが極度の後ろめたさに駆られ、私は本を閉じ値段を確認した。定価二七〇円と記されている。
あの桐箪笥の二百円が財布に入っている。この金は徒や疎かに使うことは出来ない。
しかし、今の私にとって一番有意義な物は何と言っても『破戒』、この本以外になかった。小遣い銭がまだ百円残っている。私は一大決心し店主が坐る帳場へ『破戒』に三百円を添えて差出した。
「とうとう、貴方の本になりましたね。私も嬉しいですよ!」と我が事のように喜び『破戒』と釣銭三十円を私に手渡した。
店主は私が毎日のように「出勤?」していたことを黙認してくれていたと知り、恥ずかしさと申し訳なさに耐えきれず店を飛び出た。
「桐箪笥」は『破戒』と言う書籍に化け、私の手提げカバンの中に静かに眠っている。
やはり自分の本をもった喜びは筆舌に尽くし難い。私は足取りも軽やかに家路を急いだ。
早速、祖母に報告すると、
「本を買ったのかえ。良い買い物をしたね」
と喜んでくれた。直ぐに読みたかったが、そんな状態では無かった。
――ようやく私の至福の時間がおとずれた。
「蓮花寺では下宿を兼ねた。」の書き出しは見慣れていたが、落ち着いて読む満足感は一入で、時の経つのも忘れ読み耽った――、
「もうすぐ五時だよ。夜更かしが過ぎると、仕事中に居眠りが出るよ。早く寝なさい」祖母が語気を荒げた。私は止む無く本を閉じた。
まどろみの中で朝食の音を聞いていた。
「いつまで寝てんの!?もう七時だよ!」
祖母は掛け布団を引っ剥がし、いきなり氷のような手拭いを私の顔に押し当てた。
「いくら本好きでも、宵っ張りの朝寝坊で、年寄にまで世話を焼かせるなら、本なんぞ読むんじゃないよ!!」と私を睨んだ。
――案の定、昼休みに本を読んでいた私は、始業のベルで目を覚ました。すると算盤の上に、うつ伏していたのだろう。おでこに算盤玉の形に凹みが出来てしまった。仕方なく俯きながら帰宅すると、
「その、おでこの凹みはどうしたんだい!?」
目ざとい祖母に見つかってしまった。
「だから言わないこっちゃない!! こんなことなら本なんぞ、買わせるんじゃなかった」と怒り、無理矢理に本を取り上げてしまった。
それ以来、私は一切本の事を口にしなかった。
ところが、蒸し暑い夜半に目を覚ますと、蚊帳の外で祖母が前かがみに坐っている。
「お祖母ちゃん。どうしたの!?」と声をかけると、「……丑松さんが不憫でねぇ」と口走り慌てて蚊帳の中に入り寝てしまった。
私を咎めた祖母がことも有ろうに『破戒』の虜になり、夜半に本を読んでいたのだ。
まさに「ミイラ取りがミイラになる」である。
翌朝起きると卓袱台の上に例の『破戒』が置いてあった。それには「ゆっくりお読み」と祖母の文字で栞が挟んであった――。
蝉しぐれが降りしきる夏季休暇の朝だった。