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音の光景 _読書エッセイ

佳作

『音の光景』

森田直也・東京都・26歳

 中学生の頃、二日間の職業体験があった。私は視覚障がいを持つ小学生の先生をやることにした。子供たちと対面して最初に思ったのは、今振り返っても大変に失礼だが「人の目の印象は大きいんだな」ということだった。

 自己紹介を済ませ、早速授業に取りかかった。教科は国語。題材は新美南吉の『ごんぎつね』。数年前と立場は逆転したが、こうして学んだことを懐かしく思い出した。普通より気持ちゆっくりすることを意識しながら、普通の授業のように音読を始めた。しばらくは順調だったが、小学生向けの既知の文章を相手のペースで読んでいることや、反応があまり見られないことに早くも退屈していた。一通り読み終えた後は先生にバトンタッチし、語彙の確認をしたり、登場人物の気持ちについて話し合ったりするのに加わった。緊張からか、あまり活発ではなかった。その後もいくつか授業の補佐をして、子供たちと過ごしていたらあっという間に一日目は終了した。

 教室で反省をしていると、先生が言った。

「君は自分で本を読むときも、あんなに楽しくなさそうなの」

優しく笑っていたが、言葉は鋭かった。

「いえ、ただ無理に演技をする必要はないかなと。僕の読み方や表現で、みんなの受け取り方が決まってしまうのもどうかと思って」

「私も最初はそうだったからよくわかるわ」

先生が苦笑する。

「ちょっと目を瞑ってもらってもいいかな」

孤独な暗闇の世界に入ると、先生が『ごんぎつね』を読み始めた。抑揚の付け方や間の取り方、決して大げさな表現ではないがすっと心に入ってくるセリフや心情など、端的に言って上手だった。私は確かに色彩や手触りを感じた。温かい。言葉が生きている。

「まだ、そのまま目を瞑っていてね」

朗読を終えた先生は一息つくと、再び最初から音読を始めた。今度は平板な調子でやや機械的だが、内容は知っているので場面は浮かんだ。しかし徐々にあることに思い至った。そもそもここの子供たちには、情景の記憶やそれを元にした想像力はあるのだろうか。そして情感のない声を聞いているうちに、不安が襲ってきた。先生は怒っているのか? 面倒くさいと思っているのか? 声は、本当にさっきまで目の前にいた先生の声なのか?

「はい、もう目を開けていいよ」

白黒で無機質な音読だった。冷たい。言葉は死んでいた。私は光の世界へ戻ってきた。

君がどう感じたか深くは聞かないけど、と前置きしてから、先生は滔々(とうとう)と語り始めた。

「大げさに読む必要はないけど、君が本を読むように、みんなが本を聴けるようにしてほしい。耳で読めるようにしてほしい。私たちは見えるから、文字の羅列から書き手の息遣いや想い、登場人物の鼓動や感情を自分で感じ取れるし、色々と想像もできる。でもここの子供たちには、間に立って言葉を伝える人がいないとそれは難しい。点字もあるけど、生の人の声の持つ力には代えられないの」

朧(おぼろ)げな記憶だが、こんな内容だったと思う。

「あとね、聴く力に関してはみんな物凄く敏感で、読んでいる人の心の機微や気分には繊細に反応するんだよ」

私は黙って頷くしかなかった。

 二日目も国語の授業があった。前日と同じく『ごんぎつね』の読み上げから始めた。大げさな表現はしないが、耳で読めるよう、心を込めた。私は見えるから、見えない人の気持ちはわからない。でも先生の伝えたいことはなんとなくわかったのだった。あの音読から感じた不安は、暗闇の中では耐えがたい恐怖へと変わった。昨日の私は子供たちにこんな思いをさせていたのかと後悔した。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

唐突に、ごんの行動の理由がわかった気がした。ごんは孤独だった。誰かに構ってほしくて、家族や友達がいる人が羨ましくて、いたずらを繰り返していたのだろう。しかし寂しさは免罪符にはならないし、行動だけでは想いは伝わらなかった。

 朗読を終えると、女の子が挙手していた。

「お兄さん、泣きそうだったね」

虚を衝かれて固まっていると、先生が助け舟を出してくれた。

「どの辺りでそう感じたのかな」

「兵十のお母さんが死んじゃって、ごんが『一人ぼっちか』って言ったところ。本当に悲しそうだった」

その言葉で本当に泣きそうになるが堪える。

「そうだね。先生も、とても気持ちがこもってると思いました。じゃあ、なんでそこで悲しくなったのか、みんなで考えてみようか」

前日の様子が嘘のように、子供たちは積極的に話し始めた。単に緊張がほぐれたからなのか、物語に馴染んだからなのか、別の理由なのかは確証がなかった。しかし、その目の輝きを見る限りでは、言葉の力や声の力を信じてみてもいいかもしれないと感じた。

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