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彼のように _読書エッセイ

佳作

『彼のように』

鎌田脩平・北海道・22歳

 小学校二年生、三学期の終業式。その日は私の担任の先生が定年退職を迎える日。先生はその日の帰りの会に大きな段ボールを持って登場した。私たちはその中に何が入ってるか、ざわざわと予想し始めた。先生は少し笑ってたくさんの本を取り出した。

「先生からみんなへ本をプレゼントします」

先生は自分の家から生徒全員分の本を持ってきたのだ。先生は出席番号順に名前を呼び一人ずつ丁寧に本を手渡した。本は生徒によってバラバラ。児童書の子もいれば、詩集の子もいた。中には車の図鑑だった子もいた。先生は生徒一人一人に合う本を選んでプレゼントしてくれた。

 そして、私が渡された本。それは『トム・ソーヤの冒険』だった。

 『トム・ソーヤの冒険』は、主人公トム・ソーヤが友人たちと様々な出来事を経験しながら、それを乗り越えていく物語。小さないたずらをする日もあれば、友人と夢の話をふくらませることもある。時に、大事件に巻き込まれることもある物語だ。トム・ソーヤといえば、いたずら好きでずる賢い。そのせいで育ての親であるおばさんによく怒られているような少年だ。

トム・ソーヤは私とよく似ていた。小学校の頃の私は、誰もが手を焼くいたずらっ子。目を離すと、すぐに誰かを困らせていたような悪ガキだった。私に手を焼いていた一人がその先生だった。

先生はこの本を渡すときに、私の目をまっすぐ見て言った。

「トム・ソーヤはお前によく似ている」

その時の私には、意味が分からなかった。しかし、不思議なことに今でもその言葉を覚えている。言われた瞬間の私は今よりもその言葉が記憶にこびりついていたのだろう。家に帰ってすぐ『トム・ソーヤの冒険』を読んだ。

読書が縁遠い少年だったので、『トム・ソーヤの冒険』を読んだことはなかった。本を読み慣れていないせいで、文字を追うのに必死で目が疲れたことをよく覚えている。しかし、その時間は私の心をじっとさせることはなかった。トム・ソーヤの行動に笑い、驚き、時には目を疑った。そして、いつの間にかトム・ソーヤに自分を重ねて、読み終わった頃には冒険が終わったことに気づかないほどの充実感に満ちていた。一瞬、先生の言葉を忘れてしまうくらいに。読み終わって最後のページをめくると、一枚の紙が挟まっていた。薄い緑の便箋。

「トム・ソーヤは、お前によく似ている。いたずら好きですぐに人を困らせる。でも、いたずらっ子だって情熱があるから、人を惹きつけるんだ。お前にはその情熱を忘れないでほしい。そして、惹きつけた人へ、たくさんの感謝を返していくんだ」

 先生が何を伝えたいのか、なんとなく分かった。幼い心にその言葉が刺さった。

 当時の私の見ている世界は自分が一番。誰かと喧嘩をしても、自分は悪くない。いたずらをしても、反省なんてしない。自分の楽しいことが優先。自分だけが楽しければ大丈夫だと思っていた。そんな私でも友人は多く、周りの大人も優しくしてくれた。それがあたりまえ。私の周りにはいつも人がいた。しかし、私が見ているその楽しい世界はいつも人に支えられていた。私が喧嘩をして相手に怪我をさせれば、母が相手の家に頭を下げに行っていた。私が上級生と揉めれば、三歳上の兄がその上級生をなだめてくれていた。その存在に私も気づいていたが、何も気にせずしらんぷり。しかし、今見ている世界が失われることが少し怖くなった。『トム・ソーヤの冒険』と先生の言葉が私に考える機会をくれたようだった。

そして、一つの自分ルールを作ることにした。

「ありがとう」

この言葉を私の口癖にすること。たったそれだけ。喧嘩もしない、いたずらもしない、そんな良い子に急にはなれないと思って決めたルール。今思えば自分に甘いルールだと思ってしまう。でも、そのルールは十五年以上たった今も続いている。そのおかげか、今も周りの人には恵まれている。中学・高校・大学を経て今は社会人。環境は変わっても、私の周りには人がいてくれる。時に忘れることもあるが、部屋にあるあの本を見れば思い出す。本棚にしまわず、表紙が見えるように机の上に飾っている。そして、たまに読み返している。そして今の自分を振り返る。

トム・ソーヤ。私はもうやんちゃな悪ガキではないが、君はいつまでもそのままでいてくれ。君の変わらない姿が私を変えてくれるから。

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