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歩け父娘 _読書エッセイ

優秀賞

『歩け父娘』

栗原庸介・東京都・41歳

 小五の娘と今年で四二になる私の二人で、恩田陸さんの『夜のピクニック』を実際にやってみよう、という話になった。『夜のピクニック』は、2005年に第二回本屋大賞を受賞。歩行祭と呼ばれる学校行事で約80kmを一泊二日かけて歩く高校生達の姿を描いた傑作小説だ。私は最近まで小説を読む習慣などなかったが、娘はとても読書好きな子に成長した。愛する娘との接点を増やすため、そして親としての威厳を損ねないために、娘が読んで薦めてきた本は必ず読むようにしていた。中でも『夜のピクニック』は、父娘ともにお気に入りの一冊であった。

 一泊二日、短い仮眠でのロングウォーク。元来、そんな無茶苦茶なことをまだ小学生の子どもがやりたいと言ったら、止めるのが親としての務めかもしれない。しかし、ノリノリになった私はすぐさまインターネットで歩行コースを検討した。その結果、まずは藤沢から鎌倉まで江ノ電に沿って海沿いを行き、そのまま横浜を通って東京スカイツリーまで一泊二日かけて歩こうという、途方もないコースを考えついてしまった。娘に提案したところ、海も見られるしスカイツリーにも行けるしということで、幸か不幸か大変好評であった。娘も私も、まだスカイツリーに行ったことがなかった。

 妻とは離婚が成立していた。私は司法書士として、何件もの離婚事件を扱った経験があったから、現在の日本の離婚訴訟において男親が親権者になれる確率が極めて低いことをよく承知していた。まして私は家事もロクにできず収入も低い有様であり、子に多少好かれているという点を除いては何一つ有利な材料がなかった。不毛な争いを避けるべく、私は親権を諦めていた。そんなわけだから、翌月から娘とは離れて別々に暮らすことが決まっていた。そんな父娘が『夜のピクニック』という本と出会い、またとない想い出を作れる機会を得たことは、まさに運命と呼ぶにふさわしかった。

 朝の十時半に藤沢駅を出発。『夜のピクニック』を真似て、一時間歩いて笛(の代わりにスマホでセットしたアラーム)が鳴ったら座って十分休憩、というペースを忠実に守った。覚悟はしていたが、実際にやってみると約80km(かどうか正確なところはわからないが)の歩行は想像以上にハードだった。足にはマメができ、それを庇うようにして変な姿勢で歩き続けるために、すぐに足だけでなくお尻も腰も、やがては背中までもが痛くなっていき、スカイツリーはおろか横浜にたどり着いた頃には、もはや痛くない部位のほうが少ないという状態であった。横浜のマックで三時間ほど仮眠して、朝三時に二日目の歩行をスタート。五時間くらいかけて鶴見までは何とか歩いたが、さすがにこれ以上は負担が大きすぎると判断し、バスと電車でスカイツリーまで移動。正直、満身創痍過ぎて電車の乗り換えでの歩きすら厳しかった。

 『夜のピクニック』作中では、歩行をしながら長年疎遠だった異母きょうだいと交流してみたり、女子高生を中絶させた父親捜しをしたりなど、さまざまにドラマチックな出来事が展開される。しかし父娘の実際の歩行祭ではそんな劇的なイベントなどあるはずもなく、痛みに耐えながらただひたすらに目的地を目指す、とてもストイックな一泊二日だった。しかし歩行中に固くしっかりと結ばれた手は、今後何があっても、たとえ住む場所は違っても、娘と父の絆は永遠不変だという、ある種の決意のようなものを象徴しているかのように私には思えるのだった。

 スカイツリーには高さ350mの展望デッキと、高さ450mの展望回廊とがある。父娘二人で展望回廊に行こうとするとおよそ五千円かかる。金銭的に余裕がない私にとって決して安くはない額だが、奮発することにした。想い出はプライスレスだ。

 遥かなる徒歩の旅の果てに、娘と見る高さ450mからの絶景に、しばし酔いしれた。あらゆるものは僕らより低い位置に存在し、人も車もとても小さく見えた。僕らが出発した藤沢や鎌倉も見渡すことができた。

 高いところから見下ろす景色に、なんとなく全能感を覚えた。これまでの人生、多くの悲しみも絶望も後悔もあった。きっとこれからも、くじけそうになることはたくさんあるだろう。しかし今見ている最高の景色と、この二日間の娘との想い出があれば、きっとこれから先どんな困難も乗り越えられるだろうと素直に思えるのだった。感極まって泣きそうになり、用を足すフリをしてトイレで一人泣いた。

 今、娘と私は小説を書いている。それぞれ別々の新人賞に応募するつもりだ。これからも本は娘と私とを繋ぐ懸け橋となり、そして娘と私の人生を拓いてくれるだろう。帰り際、娘が来年も歩行祭をやりたいと言ってくれて、涙脆い私はまた一人トイレに消えていった。

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