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父と私と『吾輩は猫である』 _読書エッセイ

佳作

『父と私と『吾輩は猫である』』

佐藤月美・東京都・59歳

三十二歳の若さで結核で亡くなった父は、他への感染を心配し、母の差し入れ以外は誰とも面会をしなかった。そんな父の孤独な入院生活の唯一の楽しみは読書だった。

父は元々読書家で、古典から日本・世界文学全集やドイツ語の本も原書で読んでいた。私も本好きで父譲りだろうと母に言われた。

だから、父の死と入れ替わるように生まれ、父との思い出の無い私は、読書が私と父を繫ぐ唯一の接点のように思えていた。

父も読んだであろう本を読む度、父はどう感じたのだろうと考えていた。「この表現はどう思う」「この結末はあっさりとして、ちょっとかっこつけだよねえ」などと読書をしながら父と会話をしている気がしていた。

しかし中学生の時、母にこんなことを聞いた。病床の父の読書は、初めに小説の最後を確認して暗い結末の本は読まなかったという。

私はとてもがっかりした。読書の醍醐味の一つはワクワクする結末への推理ではないか。私は面白い本の最後の方になると、パラパラッと最後までの頁を捲り、あと少しでこの物語の世界ともさよならか、と寂しくなる。たとえ不幸な結末でも、そこにドラマがあれば読後感も悪くない。父もそうだと思っていた。

それが哀しい結末から逃げるように最後を確認し選別していたなんて残念で、以後、父と読んでいたような私の読書は、一人の読書になった。それはそれで成長過程の一つだったが、死を直前にした大人の男の恐怖心も孤独も知らない、まだまだ子どもの私だった。

私はつい最近五十九歳になった。誠実に一所懸命生きてきたつもりだったが、安定した暮らしとは遠く、パートで働き、一人で生きている。

明るく生きるように努めているが、孤独と不安に怯える夜もある。特に病気になると時給労働者なので生活の不安ものしかかってくる。

そんな私の暮らしの楽しみの一つはやはり読書だった。嬉しいことに職場の近くに大きな書店が二つもあって、鞄の中にはいつも文庫本が二、三冊入っている。私の本の買い方は、各出版社の文庫解説目録のような物を書店でいただいて、事前に吟味してから書店でさっと買って行く。

ところがいつの頃からか、私は書店で直接本を手にして、最後の方の頁をチラチラと見て、なんとなく救いのない哀しい結末のものではない本を選ぶようになっていた。

それは死の足音を聞きながら過ごした病院での父の読書法と同じだった。あの時の父は、読書家として本を読んでいたのではなかったのだろう。家族のため自分のため、生きようとする気持ちを一秒でも削ぐ時間をつくらないために、読書で埋めていたのだと思った。

……パパはあの時、本の一文字一文字を生きるための梯子のようにして、頑張って読書で時間を埋めていたんだね。

五十九歳の私も、過去の痛みや未来への不安などで一瞬たりとも暗い気持ちにならないよう、まるで足搔くように努力している。そんな今になって初めて、父のあの時の縋るような読書法が分かるような気がした。

そんな頃、知人の子どもに贈る本を探していると、夏目漱石の『吾輩は猫である』を見つけた。そして思い出したことがあった。

父の死後、枕元には『吾輩は猫である』が置いてあったという。哀しい結末を読まなかった父がなぜだろうとずっと思っていた。

子どもの時、私はタイトルのユニークさと装丁の可愛らしい黒猫の絵に誘われて、この本を読み始めた。読んでみると想像とは全然違う世界があった。それでも夢中になって読んだが結末が哀しかった。死にゆく猫の気持ちが理解できず、ただただ哀しかった。溺れても死ぬものか、とあんなに頑張ったのだから、猫は助かるのだと信じていた。

幸福な結末だけを読んでいた父が、しかも死を意識していた父がなぜ『吾輩は猫である』を最後に選んだのだろう。枕元にあるということは何度も読み返したのだと思う。それだけはずっと理解ができなかった。

……でもパパ、今なら分かる気がするのです。

……パパ、生きるために闘うのは本当にしんどいよね。猫はそれを拷問とさえ言っていたよね。そして抗うことを止めたんだよね。自然の力に任せて、最後は死を受け入れて太平の心を得てありがたいとまで言った。パパはその境地になりたくて最後は繰返し読んでいたのでしょうか。私も一瞬でも暗い気持ちになることを禁じて、確かに猫の言うように自らに拷問を課しているようです。パパ、私は生きて太平の境地になれるでしょうか。

そうなれるかどうかは分からない。ただ、私はこの世で会うことのできなかった父の形見のように『吾輩は猫である』を買った。どんな気持ちで父が何度も読み返したのか、これから私も読み返してみよう。

病院の外に父を連れ出すように、私は書店から『吾輩は猫である』を青空の下に運びだした。

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