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ここほれグッグとポチが鳴く _読書エッセイ

優秀賞

『ここほれグッグとポチが鳴く』

佐々木 晋・北海道・57歳

世界じゅうどこでも動物の鳴き声は同じだろうけれど、文化によって聞こえ方がずいぶん異なっている。言語によって鳴き声の擬音語がかなり違うのだ。例えば日本語では、犬はワンワン、猫はニャーニャーと鳴く。それがインドネシア語では、犬はグッグッ、猫はメオンである。『花咲か爺さん』のインドネシア語訳があれば、ポチは「ここほれグッグッ」と吠えることになる。日本人がそんな鳴き声を聞けば、まるでポチが野生化して愛嬌がなくなったような印象を受ける。日本人にとって犬はワンワンと決まっていて、それ以外の吠え方をされると別の動物に思えてしまう。ポチは「ここほれワンワン」でなければいけないのが日本文化なのだ。

擬音語・擬態語の多い絵本に『ちいさなたまねぎさん』がある。じゃがいもさんの頭をガリガリかじったネズミを懲らしめようと台所用品がずらりと並んで戦う話だ。でも、お皿がガチャガチャ脅かしても、ネズミはチューチュー平気な顔をして走り回る。そしてフライパンもお玉もきりきり舞いさせられる。それでも最後はたまねぎさんをかじったネズミが目を痛くして懲らしめられるというお話。

娘が三歳の時に大好きだった絵本だ。登場人物が多いので声色を変えつつ私が何度も何度も読んでやった。「おとうさん、それはニンジンさんの声だよ」と指摘されて、慌てて直すこともあった。そうやって絵本を読むのは子どもとふれ合う大切な時間だった。妻はインドネシア人で日本語はあまりできない。ひらがなを読むことすら苦労する。幼児向けの絵本でも、とてもすらすら読むことはできない。だから私が日本語での絵本読みを担当したのだった。

私は大学を卒業してからインドネシアで就職して、それから二十年間インドネシアで暮らした。その間にインドネシア人の女性と結婚して、子どもを授かった。子どもはインドネシアの心優しい人たちに囲まれて、すくすくとインドネシア社会の中で成長した。

娘の母語は母親の言語であるインドネシア語だ。そのため、日本語を身につけさせるためにはどうすればいいのか悩んだものだ。たどり着いた答えは良質の日本語を聞かせるための絵本読みだった。日本から定期的に絵本を取り寄せ、時間が許す限り、それこそ何度も繰り返して読んで聞かせた。そのうちに、絵本を読む時間は、日本語を身につけさせるという当初の目的が薄れ、ただ子どもと同じ時間を共有する楽しく貴重な時間となった。子どもも、親が自分だけのために絵本を読んでくれる時間を心から楽しんでいたと思う。私は子どもの笑顔を見ては、さらに張り切って絵本を読んだ。絵本の中に没入して娘と一緒に空想の世界で遊んだ。

親としてどれほど育児に関わってきたかと問われれば、私は胸を張って答える。

「たくさん絵本を読みました」と。

 

 あるとき三歳の娘は、日本語がわからない母親のために『ちいさなたまねぎさん』の絵本を読んであげようとした。日本語の文字はまだ読めないので、覚えている話の筋をインドネシア語に直して語っていた。それは子どもにとって楽しい時間だったはずだ。母親が自分の話に真剣に耳を傾けてくれているのだ。

 ただ、たまたまその場に居合わせた私はハラハラしながら見ていた。娘は最後まで読み通せるだろうか。絵本に出てくる擬音語を娘はインドネシア語でどのように表現するのだろうか。日本式にガチャガチャ、チューチューと言っても、インドネシアの人には通じない。せっかく母親に読んであげようとしたのに、うまく通じなくて嫌気がさしてしまわないかと心配だった。

 するとどうだろう。娘はちゃんとインドネシア語風に擬音語を変えて読んでいた。そのおかげで見事にインドネシアのお話になっていた。ここほれグッグッ、とポチが鳴くように。母親も楽しそうに聞いていた。それが娘にとってはいちばんの幸せだっただろう。自分の読むお話に母親も共感してくれたのだ。

 幼児の言語能力の高さには感心するばかりだ。しかし、それよりもなによりも、擬音語の変換を通して、娘は異文化結婚をした両親の橋渡しができることを見せてくれた。日本語であろうとインドネシア語であろうと、同じお話を楽しむことができる。ほんの三歳の子がそれを証明してみせてくれたのだ。

 子どもは幼い時に一生分の親孝行をするという。愛し愛されることを生きる力とする幼子は、親に純粋な愛情を注いでくれるからだ。『ちいさなたまねぎさん』は我が家の宝物として大切にしまってある。成長の過程で娘が親に反発したり反抗したりした時でさえ、その絵本を開けば、すべてを許せる気持ちになったものだ。なにしろ一生分の親孝行をしてもらったのだから。

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