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心の友に _読書エッセイ

優秀賞

『心の友に』

山崎直子・千葉県・43歳

 人生を変えた、という程大袈裟なものではないかもしれないが、少なくともあの頃の私を一番強く支えていたのが、間違いなくあの本だったと思う。

 十歳の時の事だ。内気で消極的だった私には、クラスに友達と呼べる人が一人もいなかった。休み時間、校庭でドッジボールをして遊ぶ女の子達に誘われる事のなかった私は、図書室に籠って本ばかり読んでいた。

 そんなある日の事。一冊の本に目が留まった。「『たみちゃんときつね』小和瀬玉三作」。井本蓉子さんの挿絵が可愛らしい。何気なく見た貸出しカードに同じクラスのTちゃんの名前を見つけ、口元に笑みが浮かぶ。Tちゃんはおっとりした優しい女の子で、友達になるならTちゃんが良いなぁ、と密かに思っていたからだった。

早速、本を読んだ。山の麓に住むたみちゃんは、ある日裏山でケガをしたきつねと出会う。友達になった二人は交流を深めていくが、やがて悲しい別れが訪れる。当時の私はその物語の美しさと切なさに、どんなに胸が締め付けられたか知れない。私は何度も繰り返し読み、返却日が近づくと自由帳に、本の全文を書き写し、イラストも見様見真似で描き、自分だけの『たみちゃんときつね』を作り上げてしまったのだった。この本を買ってくれと言えなかった私の、苦肉の策だった。

夜眠る前に、自分だけの『たみちゃんときつね』を読むのが楽しみだった。そしてその本を、あのTちゃんも読んだという事が嬉しかった。いつかTちゃんと、この本について語り合えたらどんなに良いだろう。一緒に裏山に行き、きつねを探しても良い。一緒に折り紙できつねを折ったって良い。そんな事を考えたりもした。けれどそれは、叶わなかった。Tちゃんは、Mちゃんと仲が良かった。けれどMちゃんは、私をとても嫌っていた。私の家は貧しかったから、それがMちゃんの気に入らなかったのだろう。毎日同じ服を着ている事や、給食で残ったパンをもらって帰る事や、いつも一人ぼっちでいる事が、気に入らなかったのかもしれない。そのせいかTちゃんも、私に対してはどこかよそよそしい態度で接していたのだった。

ある日曜日の事だ。夕方、公民館で夕市が行なわれ、そこでTちゃんと会ったのだ。最初に気付いたのはTちゃんで、人混みの間から私の名を呼び、大きく手を振っていた。沈みゆく夕日を背に、笑顔で手を振るTちゃんは優しくて、私も同じ様に手を振り返しながら、照れ臭い様なくすぐったい様な、温かい気持ちがした。心から、嬉しかった。

次の日学校でTちゃんに会い、昨日の事とあの本の事を話そうと思った。私達は、良い友達になれると思った。あの本を、読んだのだから。けれどTちゃんは、又例のよそよそしい態度で目をそらし、私を避けるのだった。けれど私は、信じようと思った。私の名を呼び、屈託のない笑顔で手を振ってくれたTちゃんが、本当のTちゃんなのだ、と。

あれから三十年以上が経ってしまった。ふと『たみちゃんときつね』の事を思い出し、又読んでみたいと思った私は早速インターネットで調べてみたのだが、どこを探しても見つからなかった。何しろ三十年以上も前なのだ、もうあの本を手にする事は出来ないのだろう。そう思って諦めていた。

関東に引っ越して二年目の春の事だ。何気なく入った神田の古書店で、私は三十年以上の時を経て、『たみちゃんときつね』と再会を果たす。手に取った瞬間、あの頃の事が鮮やかに蘇ってきて、暫く動けなかった。買ってきたばかりの本を、すぐにその場で読み始めた。最初から最後まで、驚く程細部まで覚えていた事を考えると、私は自分でも呆れる位何度も繰り返して読んだのだろう。

人目も憚らず、私は泣いた。一人ぼっちだったあの頃の私を支えていたのは、間違いなくこの本だった。たみちゃんときつねの様に友達になる事は叶わなかったけれど、この本を読んだTちゃんが、今も尚私の様に、この本の事を覚えていてくれていたら、嬉しい。

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