家の光読書エッセイ賞
『嵐に向かって立つ』
長野和夫・千葉県・75歳
生まれ育った九州の南の島。昭和三十年代のテレビも図書館も少なかった時代、中学生の私の楽しみは新聞の連載小説を読むことだった。
鹿児島から船で新聞が島の港に到着するのは夕刻。私の暮らす集落までは、さらにバスで運ばれる。私は、小説の続きが待ち遠しくて、毎日、新聞配達のヒロさんより早くバスの停留所で新聞を待っていた。
ヒロさんから新聞を受けとると、走って家に帰り、小説のページを開いて、ちょっとしたラブシーンに大人の世界を覗きこむようなときめきを覚えながら、繰り返し読んだ。
台風の襲来で海が荒れると三日も四日も船はこない。だが、台風が去り、やっと届いた新聞を重ねて、数回分の小説をまとめて読む時のワクワクした気分は忘れられない。
そんなある日、バス停に行くと、ヒロさんが先に待っていた。
「今週で新聞配達は終わりや。東京に戻ることになってね。いつも新聞をここで受けとってくれて助かったよ。ありがとう」
ヒロさんは、東京の大学を卒業して大きな会社に勤めていたが、心身の病で三年前にふるさとの島に帰り、軽い農作業や新聞配達をしながら健康回復に努めていると聞いていた。
三十歳ぐらいのおじさんだったが、東京帰りのあか抜けした風采に、子どもたちは尊敬の眼差しで「ヒロさん」と呼んでいた。
「また東京へ行くんか。よかなあ。ちょっと寂しくなるけど……」
私が正直な気持ちを口にすると、ヒロさんは、「君が島を出る日もすぐくるよ。東京で会えるかもしれんな」と言いながら、持っていた文庫本を差し出した。
「小説を読むのが好きなようだから、この本をあげるよ。昔の本だから中学生には難しいかもしれんが、名作だ。何回も読んでいるうちに話しの筋がわかってくるはずや」
初めて手にする文庫本(岩波文庫)の表紙には、「五重塔 幸田露伴作」とあった。家に帰り、机に置いてページを開いた。
「木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女」
これまで目にしたことのない文体に、思わずたじろいだ。振り仮名を頼りに読み続けてみたが、さっぱり理解できない。翌日、バス停でヒロさんに頭を搔きながら、「オイには難しすぎて読めん」と、本を返そうとした。
ヒロさんは、「まあ、いつか読めるようになる。それまで持っておけ」と、笑いながら言った。
「島に育ったもんは、都会に出ると気後れする。オイも仕事に自信が持てなくなって、病気になってしもうた。島に帰ってから、何度も読み返して勇気をもろうたのが、この本や。生きる力になる。頑張って読んでみてくれ」
ヒロさんは、そう言って私の肩をポンとたたいた。それから、家でも学校でも『五重塔』を開いて、文語体の難解な文章を懸命に目で追った。読み進むうちに、リズム感のある文章が中学生の幼稚な頭にも不思議な響きとなって、少しずつ染み込んできた。やがて、寺社建築の大工、十兵衛を主人公にするストーリーの全容が、しっかりと頭に描き出された。
腕は確かだが、世事に疎く頑固一徹、仕事仲間から「のっそり」と小馬鹿にされ、貧乏暮らしをしていた十兵衛が、谷中感応寺に五重塔が建立されることを知って一念発起、名工の誉れ高い親方の源太に対抗して自ら棟梁となって塔建設を請け負うことを申し出る。
男気のある源太が最後は潔く譲って、十兵衛は見事に五重塔を造り上げる。落成式を前に江戸のまちは猛烈な暴風雨に襲われ、五重塔は木の葉のように揺れ動く。五層の欄干を摑んで荒れ狂う天を屹と睥む十兵衛。
クライマックスの暴風雨の場面は、毎年島を蹂躙する台風の咆哮と相まって真に迫ってきた。一世一代の大勝負。ヒロさんも戦いの場を求めて東京に戻ったのだろうか。
この島の集落にも、腕に誇りをもつ幾人もの「十兵衛」のいることを知った。高台にある中学校は学制改革の昭和二十一年に、村人が総出で木を伐り出し、ナタやカンナをふるって建てたという。その木造校舎は頑丈で、台風にもビクともしなかった。
昭和三十六年の十八歳の春、私は『五重塔』の文庫本を手に島から船出し、東京に職場を得た。大都会の喧騒と人間関係の軋轢のなかで、仕事の行き詰まり、失恋、偶発的なトラブルと、さまざまな挫折の度に、嵐に立ち向かう五重塔と故郷の中学校の校舎が目に浮かび、俗世間のしがらみにとらわれない十兵衛の不屈の職人魂が、私の心を奮い立たせてくれた。
ヒロさんとの再会は叶わなかったが、巣立ちを前に、「のっそり十兵衛」と引き合わせてくれたことに、老境の今も感謝の念が甦る。