佳作
本読み
岩越正剛(いわこし・まさたけ)・34歳
私は読書が嫌いでした。大嫌いでした。それは恐らく、小学生時代の宿題が原因なのだと思います。
国語の宿題。『本読み』
国語の教科書を朗読し、親に聴いてもらうという宿題でしたが、私はこの『本読み』がある日は、酷(ひど)く憂鬱(ゆううつ)でした。なぜならこの宿題には、チェックシートがあったからです。朗読を聴いた親が感想等を書く為のチェックシートが。
クラスメイトのチェックシートには、
「つっかえずにハキハキと上手に読めていた」とか、
「登場人物になりきり、感情を込めてセリフを読めており、とても上手だった」
等々と書かれていましたが、私のチェックシートには、いつも、この一言だけが記入されていました。
「仕事により不在の為、朗読聴けず」と。
母子家庭。女手一つで私を育ててくれた母は昼夜なく忙しく働き、私の朗読を聴くことはおろか、私と食卓を共にすることさえ、まれでした。
『本読み』がある日は、他の連絡事項のプリント類同様、チェックシートを冷蔵庫に貼り付けておくのです。すると翌日、既に無人の台所にお弁当と一緒に、いつもの一言だけが書かれたチェックシートが置かれていました。
子供心に、
「とっても上手に読めていた」とかなんとか、うまいこと書いてくれたっていいのに……と、いつも思っていました。
当時の担任教師は、ただ一人だけチェックシートに親の感想のない私に、いつも、いつも、疑いの目を向けました。国語の授業で『本読み』の範囲を、必ず、私一人に朗読させ、少しでもつっかえようものなら、
「あれれぇ。本当に、ちゃんと『本読み』してきたのかなぁ?」と、私をなじるのです。
私は、そう言われるのが悔しくてたまらず、誰にも聴いてもらえない『本読み』に、家で一人、涙をこらえて取り組みました。
そして、私は、本を読むという行為自体が、決定的に、心底嫌いになりました。大嫌いになりました。本を読みたくない一心で、進路を理系に決めてしまうほどに。
しかし、先日、そんな筋金入りの読書嫌いの私が、180度とまではいかないけれど、90度くらい方向転換することとなる出来事がありました。それは、母から初孫への、つまり私の一人息子へのプレゼントの絵本が、きっかけでした。
息子の三歳の誕生日。我が家に招かれた母は、沢山のプレゼントを抱えてやって来ました。そのプレゼントの山のなかに、あの超名作絵本があったのです。
『100万回生きたねこ』が。
ささやかなお誕生日会も、宴たけなわ。息子は喚声をあげながら、次々とプレゼントのラッピングを破いていきます。そして、プレゼントの最後の一つ、あの絵本を手にした息子は、母に、読み聴かせをせがみました。
しかし、母は、
「お前が読んであげんせ」と、私を指名。
「そうよ。アナタが読んであげちゃりんか」と、妻も、母にのっかります。
私は、読み聴かせるしかなくなりました。
普段、息子に絵本を読み聴かせるのは、妻。よく考えれば、私は、息子に絵本の読み聴かせをするのは、初めてでした。
私は、『100万回生きたねこ』の朗読を始めます。私に本を読んでもらったことのない息子は、少しだけ不思議そうにしていましたが……すぐに、お話に入り込んだようでした。
クライマックス。
息子はキョトンとしていましたが、妻は、泣いていました。私も泣いていました。そして……母も。
初めて私の朗読を母に聴いてもらい、20余年越しに最高の評価をもらえたことで、私の胸に刺さっていた小さな小さなトゲが、スッと、抜け落ちるのを感じました。そして、母も私が幼い頃、このように私に色々な絵本を読み聴かせてくれていたことを、朧気(おぼろけ)だけど確実に思い出すことも出来ました。
今では、息子に絵本を読み聴かせるのは、妻と私で一日交代になりましたが、
「やっぱり、ママのほうがじょうずぅ」
と、息子はなかなか辛口です。
30歳も半ばなのに読書初心者の私ですが、そんな息子と共に、読書の楽しさを絶賛再発見中の、今日この頃です。