家の光読書エッセイ賞
旅する気仙沼弁
感王寺美智子(かんのうじ・みちこ)・56歳
私が暮らす、仮設住宅の集会所に、小さな本棚がある。勝手に置いて、勝手に読んで、勝手に借りる、誰が管理するでもない。本の数は、百冊にも満たないが、住民の人達だけでなく、いろいろな場所から訪れるボランティアの人達も、置いていってくれるので、本のジャンルは、バラエティに富んでいる。小さな小さな私達の図書館だ。
「本は、心の財産だっちゃ。物は、みんな流されてしまったども、読んだ本の中身は、ちゃーんと、心の本棚に残ってるっちゃ」
「おらぁ、わらす(子ども)んとぎゃあ、本なんて買(こ)うてもらえねがった。読ませてもらえねえ本もあっただ。本を自由に読めるということは、幸せなことだっちゃよ」と、住民のおばあちゃんたちは、本棚を眺め、そう、つぶやく。
その本棚に一冊、図書館の貸出シールが貼られた本があった。
『けせんぬま方言アラカルト』という本だ。
「その本はさ、震災前、おらの孫が、小学校の図書館から、借りてきたんさ。気仙沼弁なんて、今の子は、づがわねえし、わがらねえっちゃ。んどもさ、孫がさ、『ばーちゃんの話すことばさ、勉強してえ』って、めんこいこと言って、借りてきたんさ」
そう言ったのは、小学生のお孫さんと暮らす、おばあちゃんだ。
「あの日、学校さ休んどって、家にいた孫と一緒に逃げたんさ。とっさに何持って逃げたかというと、財布と通帳と、じいちゃんの位牌だった。んでさ、避難所で孫さ見たらばさ、大切そうに、本一冊、持ってるきりだべ。『そんなに大切な本だか?』って聞いたら『図書館から、借りた本だから、返さねば』だと。それ聞いて、ことばさ、失くしていた周りのみんなが、少しだけ笑ったのさ」
けれど、お孫さんの小学校は、流されてしまい、図書館も、なくなってしまった。返す場所を失くしたその本は、被災者の皆さんと同じように、ここに来たのだった。
しかし、ある日、その本は、皆さんより先に、この仮設住宅を出て行くことになった。
ある思いを託されて、旅に出たのだ。
神戸から、ボランティアさんが来たときだった。ひとりの女性が、その本を熱心に見ていた。
「気仙沼弁って、あったかーい感じがしますね。いいな」
すると、おばあちゃん。
「その本、もってけ」
「え? いいのですか?」
「気仙沼弁さ、広めてけれ!」
おばあちゃんは、ニコニコして言いました。
それから、しばらくして、集会所には、各地から来た、若者達の気仙沼弁が飛び交うようになった。
「おばんでござります」
「はめてけれ(仲間に入れてくれ)!」
「お茶っこすっぺ」
「ばばばばば!(驚いた)」
「あの本見て、気仙沼弁にひかれて、来ました」
「ボランティアに来る前、あの本、貸してもらってよかった」
あのボランティアさんが持ち帰った、気仙沼弁の本は「気仙沼へ行こう」というメッセージが添えられ、人から人へ渡っているのだった。そして、それを手にした若者達が、訪れるようになったのです。
実は、私も、その本に、お世話になった、ひとり。私は、被災者でも、気仙沼の人間でもない。外部から復興支援に携わる夫と共に、ここへ来て、被災者の皆さんと暮らしているのだ。
来たばかりの頃、気さくな住民の方々は、戸惑う私に、いろいろ話しかけてくれるのだが、方言が、わからず困った。もちろん、適当に返事をしても、皆さん、笑って許してくれたのだが。
そんなとき、この本棚で、この本を見つけ、こっそり読んで覚えたのだ。
そして、
「アンタ、もう、気仙沼のシト(人)だっちゃ」
みんなから、拍手をもらった。
気仙沼弁の本は、今、どこを旅しているのだろう。そして、今度は、どんな人を連れてきてくれるのだろう。
「気仙沼弁の本が、人を連れてくる。本は生きてるっちゃ」
おばあちゃんは、うれしそうだ。
震災から五年半が過ぎ、この仮設も、来年の取り壊し予定だが、ここにいる限り、気仙沼の人たちと同じ、力強い笑顔と、気仙沼弁で、訪れてくれる人達を迎えよう。
はまらんや(仲間に入れ)!