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十五歳の小学生 _読書エッセイ

佳作

十五歳の小学生

牧野恒紀(まきの・こうき)・東京都・44歳

 ある秋の朝、私たち小学三年生の教室は、始業前からざわついていた。転校生が来る。その噂で持ちきりだったのだ。
「うわあっ」
 新しい仲間が入ってくるなり、男子も女子も驚声をあげた。大きい。先生と同じくらい背が高い。整った顔立ちの少年ではあるが、どこか普通の人とは違う雰囲気を醸していた。
 先生が黒板にプロフィールを記す。
 名前はグンタツ君。グンタツという漢字は「小学生には難しすぎる」そうで、カタカナで書いた。父親が台湾人で、母親が日本人。今まで台湾で暮らしてきたという。
「最後にもうひとつ」
 先生は私たち児童をぐるりと見回す。
「グンタツ君は、みんなより六つ年上です」
 本日二度目の驚声があがった。                
 グンタツ君は私の隣に座ることになった。教科書も私のものを一緒に読む。机と椅子は一番大きなサイズを使っていたが、それでも窮屈そうに授業を受ける姿は、どこかユーモラスであり、気の毒にも思えた。
 十五歳の彼が、小学校で学ぶことには理由があった。
 日本語が話せなかったのだ。使える言葉は「オハヨウ」「コンニチワ」「アリガト」。読み書きのほうもさっぱりとのこと。
 言葉が通じない年長の少年。なじみにくいように思えるが、意外とそうでもなかった。大きな転校生はお茶目な表情とジェスチャーを使い、半月後には人気者になっていた。
 あとは言葉だけである。学校側も日本語の授業を設けていた。グンタツ君の覚えは早く、片言の会話を交わせるまでになったものの、足りない語彙にもどかしげな表情を見せることもあった。
「ニホンゴ、ウマク、ナリタイ」
 彼は隣の席から訴えてきた。
 そうだねえ、と私も思案する。
「いい考えがあるよ」                    
 カーテンの間からこぼれた陽が、読書をする二人の背中に、茜色の襷(たすき)をかけている。
 私はグンタツ君に付き合い、放課後の図書室で読み聞かせをするようになった。図書委員だったので何かと融通が利いたのだ。
 書架には教材に使えそうな蔵書が並んでいた。特に役立ったのは絵本や童話だった。
 作品を一緒に声をあげて読み、感想を語り合う。効果はてきめんだった。年上の教え子はめきめきと力をつけ、ひと月が過ぎた頃には、日本語で冗談を飛ばすまでになっていた。
「君のおかげだよ」
 誰もが喜んでくれた。校長先生も、担任の先生も、グンタツ君の両親も。
 けれど、私は知るよしもなかった。彼の日本語を上達させることが、別れの訪れを早めていたことを。                
 私たちの関係は変わりつつあった。
 グンタツ君の言葉が流暢になるにつれ、逆に私との会話は減っていった。彼は、意識的に私から遠ざかっているようだった。放課後に漢字の読み書きの授業が始まり、図書室に通うこともなくなった。
 どうしてしまったのだろう。幼かった私は、年上の友人の変心に戸惑うばかりだった。
 が、理由はすぐに判った。彼の中学校への編入が発表されたのだ。
 もともと十五歳での小学校在学は、日本語の基礎習得のためで、半年間の予定だった。それが思いのほか順調に進んだことで、予定を繰り上げ、中学に移ることになったという。
 別れの日、グンタツ君は教壇から挨拶をした。最後に、みんなにお礼をしたいという。
「これを、よみたいと、おもいます」
『泣いた赤鬼』という本を開いた。
 人間と友達になりたい赤鬼のため、親友の青鬼は一計を案じる。悪役になって村を襲い、自分を赤鬼に懲らしめさせたのだ。
 赤鬼は人間の信頼を得て有頂天になるが、青鬼が姿を見せなくなったことに気付く。彼の住処を訪ねてみると、貼り紙が。そこには人間と仲良くなれた親友のため、自分は身を引くとあった。それを読み、赤鬼は涙を流す。
 懸命な朗読は伝えていた。みんなのおかげで、僕は日本語が上手になりましたと。そして、私も別のメッセージを受け取っていた。
 彼は心変わりなどしていなかった。中学校への編入が迫ったことで、青鬼のように私から距離を置いたのだ。幼い心が、別れに傷つかぬように。
 朗読が終わり、教室に拍手の雨が降る。
「その本、僕が返しておくよ」
 私はグンタツ君に手を差し伸べる。
「図書委員の仕事だからさ」
「……ありがとう」
 十五歳の友達は、赤鬼のように涙ぐんだ。

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