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弟の『ナビ』 _読書エッセイ

佳作

弟の『ナビ』

中野康子(なかの・やすこ)・大阪府・29歳

 二歳年下の弟は小学校低学年時、LD(学習障害)児として診断されていた。彼は成長するにつれ健常者とのギャップはひどくなるばかりだった。
 それを私は支えるどころか、彼を「のろまで鈍な奴」と、ののしっていた……。
 ある日、彼は、乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さんの『五体不満足』という本を買ってきた。
 活字ばかりの本に私は彼の行動をあざ笑って見ていた。
 それから十数年たった──
 彼と私は逆転した。
 彼は現在、「介護福祉士」として高齢の方々のお世話をさせていただいている。
 かたや私といったら、「鬱(うつ)」が続き、もう12年にもなる。大学も中退してしまった。
 そんなある日だった。
 私は自宅で経験したことのない「痙(けい)れん」。深夜、救急車で病院に搬送された。
 緊急入院だった。
 あくる日の午後、やっと我に返った。
 「解離(かいり)性障害」とも診断された。
 この聞きなれぬ病名、そしてこの異様な雰囲気の病院に私は震えた。
 一人泣いていた。
 落ち込んでいた。           
 数日後、彼が病院にやってきた。
 母とではなく、一人で見舞いに来てくれたのだった。
 驚く私に、
「これ……」
 彼が照れくさそうに私に渡してくれたものは、シュークリーム、それに手垢だらけの見覚えのあるあの『五体不満足』の本だった。
「ありがとう!」
「古本で悪いけど……」
 彼は病室に10分もいただろうか……。
 すぐに帰っていった。
 初めて、この本を手にとってみた。
 メッセージがはさんであった。
 シャイな彼の精一杯のメッセージが伝わってきた。
 不器用で鈍な彼が、どうしたら私を少しでも助けられるか精一杯考えたのでしょう──
 しっかりと本を握りしめた。
 また、パラパラとめくってみた。
 全てといってよいほど、「ルビ」がふってあった。あたたかみを感じる。
 ページをめくっていくと、コーヒーのしずくしみが目につく。下線がひいてあったり、落書きもところどころある。
 その落書き、下線が私にとって気になって仕方がなかった。
 たぶん、彼が何度も繰り返し、共感した文面であることは確かだろう……。
 その上をなぞっていくと、「点字」のようなぬくもりさえ伝わってくる。
 ある下線文に「乙武にしかできないことは何だろうか。この問いに対する答えを見つけ出し、実践していくことが、どう生きていくかという問いに対する答えになるはずだ」と記されてあった。
 彼はこの文面によって自分なりに「介護福祉士」という結論を出した。
 彼は不器用だったが「大器晩成」だった。実に努力家だったと思う。
 さて私の答えは……まだ見つかっていない。いったい私には何ができるのだろうか……。
 でもひとつ言える。
 私には、心が病んでいたとしても手も足も自由に動かすことができる「五体満足」がある。
 与えられたこの命を無駄にすることなく、私らしくマイペースで生きていくことかなあ。
 彼は、この本を通じて、私に「生きること」「命の重み」を伝えたかったのだ。
 彼のこの粋な、はからいに私は惨敗した。
 あの子どもの頃の強い姉ちゃんになろう。

 小さい時から俺をいつもやっつけてた強い姉ちゃん、病気なんかに負けんな!! がんばれ姉ちゃん!!

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