佳作
なかよしの印
佐野由美子・三重県・42歳
保育所の二歳児クラス。七月。
入園当初は「ママー!!」と泣いていた子どもたちもだんだんと慣れ、
「先生、あそぼ」
と誘ってくれるほどになっていた。――たったひとりの子どもを除いて……。
Rくんは外国籍の子どもだった。いつも部屋中を走り回り、気にいらないことがあると、ぷいっと外へ飛び出していく。そのたびにこんこんと注意するのだが、どこ吹く風。お昼寝前の絵本の読み聞かせも、興味なし。
その日も、いつものように布団を敷いて、子どもたちを集め絵本を読んでいた。Rくんは、しきりに前に座った友だちMちゃんにちょっかいをかけている。
「Rくん、Mちゃんは絵本を見てるからね」。
そう言われると、Rくんはふてくされて、そっぽを向いた。『つのはなんにもならないか』を一冊読み終える頃には、寝転がって暇を持て余していた。
だけど他の子どもたちは、
「もっと見たい。もう一個読んで!」
とせっつく。
(短い話を選ぼう)
そう思って何気なく手に取った絵本が『あそぼうよ』だった。
ことりがきりんに“あそぼうよ”と誘うのだが、きりんが断り続ける……という単純な内容の絵本だ。
絵本を開いて、あれっと思った。絵本の文字の下に、カタカナの言葉が書いてあったのだ。
「バーモス ブリンカール?」
なんだこれは? と思いつつ、思わず読んでみると――Rくんが、目を輝かせて近寄ってきた。
それは彼の国の言葉だった。何年か前に通訳の先生がポルトガル語を書いてくれていたらしい。
「バーモス ブリンカール」
「ノー ブリンカール!」
日本語の下に書かれたカタカナを読むたび、Rくんは今まで見たこともないような親しみのある眼差しで私を見る。
嬉しくて、嬉しくて。
私はその日、三回も『あそぼうよ』の絵本を読んだ。
Rくんは話を聞かずに反抗していたわけじゃない。絵本に興味がなかったわけでもない。
ただ、言葉がわからなかったのだ。
彼の目に、私はどう映っていたのだろう。
行動を制限し、わからない言葉を投げかける人。わからない言葉で読む絵本を“見てごらん”と強要する人。
――好きになれるわけがないじゃないか。申し訳ないと心から思った。
それからRくんは、暇さえあれば『あそぼうよ』の絵本を持って私のひざに座りにくるようになった。
相変わらずやんちゃだが、部屋を飛び出していかなくなった。
「バーモス ブリンカール」
「ノー ブリンカール」
ただ、それだけの繰り返しの短い絵本。
だが、この絵本は間違いなく、私たちの絆になった。
「センセイ」
二週間後、Rくんはたどたどしい日本語で私を呼んだ。
初めて……初めて!
手にはやはり『あそぼうよ』の絵本。
私は笑顔の彼を、ふんわりと抱きしめた。彼も、小さな手を私の首にまわして、ぎゅっと抱きついてきた。
「ブリンカールの本、見ようか」
彼は、こくんと頷いた。
簡単な言葉の繰り返し絵本。
だけどこの絵本は、私とRくんのなかよしの印。心と心をつないでくれた、大切な大切な一冊なのだ。