佳作
オリオン星座
加藤文子・長野県・35歳
夜空を見上げて星を見ていたら、冬の訪れを感じた。冬が近くなると会いたくなる本がある。本棚へと急ぐと、読んで欲しそうに、青い本がこちらを見つめていた。
「生意気ばかりいうな」
実家のことを思い出すと、一番に厳しい祖父の声が聞こえてくる。東北の田舎町で、私は育った。明治生まれの厳格な祖父のいる家はいつもきりっとしていた。ある時は罵声が、またある時は茶碗なんかが飛んできた。息が詰まりそうだった。家を出たくて、遠くの大学へ進学したくらいだ。でも今は、思い出すだけで、なんだかほっとして笑ってしまう。あの本のおかげだ。
大学四年生になる桜の咲く頃に、祖父が他界した。戦争を経験した頑健な人で、最初で最後の入院だったという。九十歳だった。
葬式に配られた香典返しの中に、一冊の本が入れられた。祖父が自費出版をした短歌集だ。八十八歳にして出版した処女作だという。青い表紙に銀色の文字で『オリオン星座』と書かれていた。本を出す程、短歌を書き綴っていたということを、私は全く知らなかった。お寺から帰る車の中で、祈るような気持ちで本を開いた。窓の外は少しずつ色付き始めていた。
本の中には私の知らない祖父がいた。「おい」としか呼ばれなかった、亡くなった妻へ捧げる短歌集というセリフに。あるいは六十の手習いで始めたということに。季節を慈しみ、色彩豊かな言葉で紡ぎだされた歌の数々に。すべてが驚きだった。
タイトルは、戦後、祖国に戻って見上げた空に、浮かんでいたオリオン座を見た経験から付けられたという。祖父はシベリアで捕虜となっており、その時のことがたくさん歌になっていた。かなり胸のしめつけられる過酷な内容だった。弔問には、同じ隊にいたという部下の方も訪れた。祖父からは一度も戦争時代のことを聞いたことがなかった。辛くていえなかったのかもしれないけれど、もっともっと聞いてみたかった。いや、聞くべきだった。命を懸けて日本を守ってきた人達の話を。
孫という章にたどり着いた時は手が震えた。なんとなく覚えているようなことがいくつも書いてあった。海で家族と散歩した時のこと。大工だった祖父に工作を教えてもらった時のこと。祖父の日課であった犬の散歩に付いて行ったこと。気が付くと、祖父と寄り添いながら読み進めているような感じがしていた。
目に見えず手も届かざる愛(かな)しさにいつも身近に孫の手を置く
この歌を読んだ時、結果的に最後となった電話での言葉を思い出し、初めて泣いた。厳しい怖いというイメージの祖父からは想像できない弱音。「早く帰っておいで」という小さな小さな声。私は、実家にあまり帰らなかったことと、手紙を書かなかったことを、とても悔やんだ。
本を読み終えて閉じた時、読む前と全くイメージの変わった祖父がいた。心の中に春の陽が射してきた。本を残してくれたことを、有難いし、素敵だなと思う。残してくれなければ、堅物というイメージを拭えなかっただろう。愛されていたことも知らないままだった。会いたい時にページを開けば、いつでも祖父がいるというのもうれしい。この本は祖父が生きてきた証だ。曾孫や玄孫そのまたずっと先にも伝えていきたい本。誰かに聞かれたら、祖父の本ですと紹介したい。誇らしげに。米寿を迎えて出版した本に『オリオン星座』と名付けたセンス。青い表紙が夜空で、銀の文字を星に見立てたセンスも。意外にもロマンチストかもしれない。
そういえば私の名前は、祖父が付けてくれた。私の年代にしては少し古くさいので、好きではなかったけれど、「文」の字が入った私はその名のとおり、学校が好きで、筆まめだ。文章を書くのもとても好きだ。祖父のように。
祖父の本を持ったまま、窓の外を見る。冬の星座であるオリオン座が浮かんでいる。にじんで見えるタイトルを指でなぞった。そして、本を持ち上げて、夜空に並べた。夜空の星座と、地上の星座。寄り添って輝き出す。