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本がもたらしてくれたもの _読書エッセイ

佳作

本がもたらしてくれたもの

安田直子・長野県・40歳

 七歳の娘が眼の手術をすることになり、近くの眼科医からの紹介状で、自宅から遠く離れた大学病院に入院した時のことだ。私は、娘の付き添いで二週間病院で寝泊まりした。その二週間は今思い起こしても、経験したことのないような不思議な入院生活だった。
 手術前日に入院した私達は、動けるうちにと病院内を散策した。病院内には図書館があり、本を借りることが出来た。何より読書が大好きな娘。早速図書館で何冊も本を借り、ベッドに戻ると本を読んで過ごした。病院内での退屈な時間が、読書の出来る贅沢な時間になったことは心から嬉しいことだった。
 翌日は手術日。娘の眼の状態は思ったより悪く、大手術となってしまった。術後は、痛さと不自由さから何をするにもメソメソし、代わってやれない苦しさで私自身も泣かれるたび苦しかった。そんな娘に痛さを忘れて欲しくて、私は借りてきた絵本をベッドの脇でひたすら読み続けた。娘は次第に落ち着いて、私の読み聞かせに耳を傾けるようになり、見える方の眼で絵本を選び、私にリクエストしてくれるようになった。私も娘の顔に笑顔が戻ると嬉しくて、一日中でも読み続けた。
 暫くすると病院生活にも慣れ、術後の経過も順調だった。相変わらず私は図書館にせっせと通い本を借りては、読み聞かせを続けた。
 ふと気が付くと、私達のベッドの傍に立っている人がいる。娘と同じように片目に眼帯をしたパジャマ姿のおばあちゃん。おばあちゃんは、隣の部屋の入院患者さんだった。いつの間にか私の読み聞かせを一緒に聞いてくれていたのだ。目があうと、おばあちゃんは軽く会釈し、にこっとした。
「勝手に聞いていてごめんなさいね。私は本が大好きなんだけど、眼を手術することになってから読めなくて辛くてね。隣から読み聞かせが聞こえてくるもんだからつい気になって。良かったらもう少し聞かせて下さい」
「構いませんよ。でも子供の絵本しかないんですけどいいですか?」
「いいんです。何でもいいんです」
 私は、絵本を読み続けた。するとおばあちゃんは、泣いたり笑ったりしながら絵本の世界に入っていった。娘と二人並んで。
「また時々読んで下されば嬉しいのですけど、あつかましいお願いですね」
「喜んで読みます。私、読み聞かせのボランティアをしたくて、読み聞かせ講座に通っていたくらいですから。こちらこそそんな風に言って頂いて嬉しいです」
 私がそう言うと、突然に同じ部屋のおばさんが「私達もね、本当言うと毎日楽しみにしていたのよ。是非読んで欲しいわ。一日この格好で気が滅入るのよ」と言った。なるほど、言われて見ると眼の手術の後はテレビも見れず、うつ伏せのままの姿勢でいなければならない。ラジオは入りが悪く、病室では気も使う。その上、視野が狭く視力もないため病室以外殆ど何処にもいけない。これでは気が滅入っても当たり前だ。そんなことから、私は皆のリクエストで推理小説やエッセイなどを毎日読み続けることになった。特に、夕食後の二時間、全員でベッドにスタンバイし、推理小説の読み聞かせに耳を傾ける時間は、皆のお気に入りだった。難しい本なのに、いっちょ前に七歳の娘もじっと聞いている。消灯時間になると、全員で急いで点眼し、寝る準備。電気が消えても「あぁ、犯人は誰かしら。気になるわ。早く続きが知りたい」等と、しばしおしゃべりが続く。

 こうして、同じ時間を多く共有するうち、部屋の全員がすっかり仲良くなった。七歳の子供に四十歳の私。他に五十代と六十代のおばさん。年齢も出身地もばらばらなのに、いつの間にか本を読む時間だけではなく、食事やおやつも一緒に一つの机にイスを並べて食べるようになった。人生話にも花が咲く。
 その頃私は、約半世紀近く生きてきた今までを振り返り自分史にまとめてみようと、執筆の最中だった。病室で空いた時間に原稿の見直しをしていたのだが、何とそれを読んで欲しいとリクエストされたのだ。まだ青い私の年齢で、しかも年上の方に自分の人生を語るなんて恥ずかしくて戸惑ったが、思い切って読むことに決めた。どきどきしながらの読み聞かせ。ところが、予想以上に反応が大きい。読者とは、こんなことを考えるのかと、驚きと感動が胸を駆け巡った。年代で、感じることが異なるのも面白い。読者の思いを知るなんて、二度と出来ない体験をさせてもらったと感じた。そのことをきっかけに私達はお互い、泣いたり笑ったりしながら、もっと深い気持ちを話せるようになっていったのだ。
 本がもたらしてくれた病院での出会い。家族のような時間を過ごし、辛いはずの入院生活は充実した入院生活となった。本が皆の気持ちを元気にしてくれ、年代を越えた心のふれあいを作ってくれた。心から本に感謝。

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